2017年1月 4日 (水)

THE HOOTERS

Q:「フーターズと言えば?」
A:「セクシー衣装のピザ屋!」
Q:「…ですが、バンドのフーターズと言えば!」
A:「フィラデルフィア出身の80年代に一斉を風靡したバンド!」
Q:「正解!!」
と言う訳で(笑)今回は「ザ・フーターズ」のご紹介です!
今となっては「?」の方も多いと思われますが、80年代の代表的な歌姫の1人シンディー・ローパーのヒット曲「タイム・アフター・タイム」を共作したロブ・ハイマンのバンドと言えば多少は通りが良いでしょうか。
元々はボーカル・キーボードのロブギター、ボーカルのエリック・バジリアンを中心にデビューした「ベイビー・グランド」と言うバンドが前身。
ギターにジョン・リリィベースにロブ・ミラーを迎えての83年のデビュー作「アモーレ」はインディーズながら大きな評判となり、この時期に元フーターズのメンバーだったリック・チャートフがプロデュースした、シンディー・ローパーのファースト・アルバム制作にロブとエリックが起用され、大ブレイクの引き金になったのは前述の通り。
フーターズの名前の由来は鍵盤ハーモニカの愛称からだそうで、確かに鍵盤ハーモニカやマンドリン、アコーディオン、などの楽器に加え、スカやケルティック、レゲエ、カントリーを含む民族音楽をロックで融合させたアーシーかつポップな音楽はメインストリームにはあまりなくて、とても新鮮な印象でした。
'85年のメジャーアルバム「眠れぬ夜」はいきなりのダブルプラチナを獲得。
おなじみ「ライブエイド」でも強烈な印象を残しました。
87年アルバム「ワン・ウェイ・ホーム」、89年「ジグ・ザグ」と発表。
93年から95年には女性メンバーとしてミンディ・ジョンストンが参加した時期があり、個人的にはこの時期の印象が深いのであります。
エリックが抱えるエレクトリック・マンドリンとギターのダブルネックや、ボーカル、バイオリン、マンドリンとマルチにこなすミンディのキュートな魅力とともに脂の乗り切った時代のハツラツとした様子が印象的!
動画もその辺で、と行きたい所ですが、さすがに伝ロク的には新しすぎると言う事で(笑)、動画は現存する最古と思われる映像を持ってきてみました(笑)。
'82年、まだギターがジョン・クズマベースがボビー・ウッズという、ごく初期の映像を発見!
地元フィラデルフィアでの演奏で、観客の様子を見てもこのバンドがブレイクしていく勢いを感じる興味深い演奏です。
80年代特有のファションや髪型はまだ影を潜め(笑)、70年代を引きずった感じの若々しいロブ。
トレードマークのレスポールJrではなく、テレキャスターを抱えたエリックなど見所満載(笑)。
動画の「オール・ユー・ゾンビーズ」は後にレコーディングされたシンセ主体のアレンジではなく、ロックっぽさを全面に出した感じになっていて、逆にかっこいいですね!
さてその後のフーターズですが、リッキー・マーティン、ジョン・オズボーン、ボンジョビなどへの楽曲提供プロデュースなどバンド内外での活躍は続くものの、ライブアルバムの発表後、ミンディの脱退などあり98年に一度活動を停止。
しかしながら'01年に復活。 ドイツではNo.1ヒットもあったとのことでその後頻繁にツアーに訪れているようです。
'08年にはニューアルバムも発表。現在も健在で活動しているようです。 それでは若きフーターズのハツラツとした演奏をどーぞ!!



「All You Zombies」 (1982)


 


↓オススメアルバムは動画の頃ではなく(笑)、本文でもありましたミンディが参加していた頃の良作'93年の「アウト・オブ・ボディ」を推薦します。ミンディのボーカルに加え、シンディー・ローパーもゲスト参加するなど、活動休止前の最後のアルバムとは思えない作品。レーベルの関係か、現在新品での入手は難しいですが手にはいります。ぜひ!



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月16日 (火)

Aldo Nova

前回のトレヴアー・ラビンと微妙に被りますが…。
80年代当時、私たちロック・ファンに大きな話題となった人。
ソロ・アーティストであり。ギタリストのアルド・ノヴァのご紹介です!
カナダ出身のアルドがセルフ・プロデュースのアルバム「ナイト・ファンタジー」で登場したのは’82年。
全米8位のプラチナアルバムになるなど大ヒット。ドラム以外は全て自分でやってしまう、というマルチぶりもトレヴァーと被りますね。
当時のトレンドともいうべき産業ロックのテイストも感じるハードでメロディアスでポップな楽曲はとても好きだったんですが翌年のセカンドではあまりパッとせず、85年の3枚目はカナダでこそヒットするもアメリカではランクインせず…。
ここ日本では一発屋などと言われる始末…無念です(笑)。
その後アルドはシンディー・ローパーのギタリストになったり、カナダつながりでセリーヌ・ディオンへの楽曲提供などしていたのですが、ここで転機が訪れます。
かねてから知り合いだったボン・ジョビのジョン・ボン・ジョビのサントラソロ作「ブレイズ・オブ・グローリー」に参加。
それが縁で’91年にアルバム「ブラッド・アンド・ブリックス」をジョンと共同プロデユースの形でリリースするのです。
このアルバム、楽曲も演奏も素晴らしかったのですが、髪を伸ばしてグラム・メタルよろしくイメチェンするも時すでに遅し…。再ブレイクには至りませんでしたね…。
その後はまたセリーヌへの楽曲提供、プロデュース、フェイス・ヒルへの楽曲提供など主に裏舞台へと行ってしますのです。
もちろん現在でも時々ソロのライブは行っているようですが、その才能をこのまま埋もれさすのも惜しいと思うのは私だけでしょうか。
さて動画です。実はアルドの動画はかなり前より探しておりました。
特に80年代ヒット全盛の頃のライブ映像はほとんど出ておらず、近年のものばかり…と諦めかけていたところになんと!91年のアルバムリリース後のライブ映像を発見!
脂ののったこの時期でも良いでしょう、との判断で今回のご紹介に至ったわけです。
このライブはジョン・ボンジョビのソロとアルド、ポール・ロジャースらが一堂に会したものでライブ後半ではジョンやポール・ロジャースも飛び入りしての演奏もある熱いもの。
そして楽曲はもちろん往年のヒット曲、「ファンタジー」であります。
出だしで観客に歌わせるあたりの演出にはグッときますね!
この時期のアルドのバンドですがギタリストとしてフィルXが参加しているのです。
はいピンときたあなた、エライ(笑)。
フィルX & ドリルズ のフィルXはやはりカナダつながり。
リック・エメットの後にトライアンフに在籍していたり、リッチー・サンボラの代わりにボン・ジョビのツアーに参加していたのも記憶に新しいと思います。
この人、最初はいわゆるトリッキー&超技巧派のギタリストで、このライブでもそのテクニックを遺憾なく発揮しております。
しかし元々しっかりとしたバックボーンを持っており、YouTubeなどで漁っておりますと稀代のロックの名曲をバリバリとカバーして弾きこなす映像が山のように出てくるんです。
この正面に向かって突き出たワーミーバー往復ビンタみたいに叩いて使うんですよね(笑)…
おっとすっかり話が逸れてしましました(爆)。
この映像でもアルドとの掛け合いが見事です。もちろんアルドも相当のテクニックを持ったギタリストですから。
ではオーディエンス撮りでの画質ご了承の上お楽しみくださいませ!



「Fantasy」 (1982)




↓やはり聞いてくださいデビューアルバム。年代は感じさせるも楽曲の良さが光ります。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月 4日 (水)

Rabbitt

見切発車!(笑)
かねてより私が取り上げたいと思っていた大好きなアーティストにトレヴァー・ラビンという人がいます。
ギタリストでマルチプレイヤーでもあり、類い稀な才能を持つアーティストです。世間一般にはあのプログレッシブ・ロックの大御所バンド 「イエス」の’83年の再結成に関わり、「ロンリー・ハート」の大ヒットを生み出した張本人で認知されています。
そのトレヴァーがデビューしたバンドが今回ご紹介するラビットというバンドです。
同名のバンドがオーストラリアにも存在したようですが(綴りが違います)、こちらは南アフリカのバンドであります。
南アフリカ出身のトレヴァー、’72年結成時は「 コングロムレイション」というバンド名でジェス・ロ・タルの「ロコモティヴ・ブレス」をカバーしてスマッシュヒットしたりしていたようですが、それまでのメンバー、トレヴァー・ラビン(ギター・ボーカル・キーボード)、ロニー・ロボット(ベース)、ニール・クラウド(ドラム)に加えて’75年にキーボード、ボーカルのダンカン・フォールが参加。
ラビット名義として’75年にアルバム「青春の悪戯」をリリースします。世の中がアイドル・ロック全盛に傾く中、彼らもそのルックスと相まって本国南アフリカではベイ・シティー・ローラーズ並みの大人気となります。
この「青春の悪戯」ですが、本当に良くできたパワーポップアルバムでした。共作を含めほぼトレヴァーが曲を作りして歌っていますが、美しいコーラスとストリングアレンジ。ハードさとポップさが見事にブレンドされた名盤だと思います。
このアルバムからはシングル「いとしのチャーリー」がヒット。
続く’77年にリリースされたセカンドアルバム「裸の青春」では音楽性がさらに進化。
メンバーのヌードがあしらわれたジャケットがあれと言えばあれですが(笑)、すわクイーンかと思うナンバーからAOR的な味付け、プログレまで縦横無尽。
このアルバムではキーボードのダンカン・フォールもギター、ボーカル、曲づくりと存在感を増していきます。
しかしここでトレヴァーがバンドを脱退
一部にはアパルトヘイトを嫌ったという記述も見られますが、イギリスに渡ったトレヴァーは’78年にソロ作「誘惑の貴公子」を制作。さらにアメリカに渡ってイエスのメンバーらと接触をしていくというわけです。
一方残された3人はキーボードだったダンカン・フォールを中心に3ピースバンドとして再出発。実はトレヴァー・ラビンの陰に隠れてしまっていましたが、このダンカンも恐ろしい才人。ギター、ボーカル、ソングライティングでも素晴らしい才能を発揮しますが時すでに遅し…。
’78年にダンカンはあの(笑)「ベイ・シティー・ローラーズ」にレスリー・マッコーエンの後任として加入。バンドは解散となります。
そう、このダンカン・フォールこそがその才能でBCRを強力でアーティスティックなパワーポップバンドに生まれ変わらせた張本人なのです(笑)!
残念ながら「ザ・ローラーズ」と改名までしたのに世間からそっぽを向かれてしまった…。悲劇です。
その後のトレヴァーの活躍はご存知の通りですが、現在は映画音楽などの分野で活躍。久々のソロアルバムも高評価のようです。
一方のダンカンも地道に活動しているようです。
さて動画ですが…見切発車(爆)そう、ラビットもトレヴァーも恐ろしく動画がないんです(笑)。
もちろんお国柄という部分も否めませんが、ネットで見れるヒストリービデオには断片的なライブ映像などありますから、どこかに存在しているのだと思います。
そんな中!ヒストリー物ではアフレコにされていた楽曲の実際の音が入った動画を発見!
どこの国のテレビでしょう!音も悪く曲の途中のわずか1分半ですが、当時の彼らの勢いを感じる貴重な映像です。
その曲は「青春の悪戯」から「ハード・ライド」です。
アルバムでの唯一のダンカンのボーカル曲。当然動画でも歌っているのはダンカン。トレヴァー・ファンの皆様すみません…。
スタジオ版ではストリングスがバリバリ入るナンバーですが、シンセとドライブ感のあるギターでイキイキと演奏されています! 途中までですが…悪しからず。
早くフルの動画が公開されるのを夢見て!しばしどーぞ!!



「Hard Ride」 (1976)


 

↓個人的にお勧めは「青春の悪戯」です。思い入れたっぷり(笑)。サード・アルバムの「ロック・ラビット」は全世界的にCD化は無し…誰かー(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月 4日 (月)

SEX PISTOLS

ついにこの日がやってきました…。伝説のパンクロックバンド、「セックス・ピストルズ」の御紹介です。
まだだったのかい!というツッコミが聞こえてきそうですが、当、伝ロクで意図的に先送りにして来ていた、いくつかの大物バンドの一つです。(理由は後ほど…)
いわゆるロックというジャンルの中のパンクというカテゴリー。まさにその代表とも言えるのがこのバンド。
’76年11月にEMIより「アナーキー・イン・ザ・U.K.」でデビューした「セックス・ピストルズ」。
その仕掛け人はロンドンで「SEX」というブティックを経営していたマルコム・マクラーレン
パンク・ロックというと、どうしてもロンドン・パンクに目が移りがちですが、実際のパンクの祖はニューヨークでした。73年にデビューのニューヨークドールズをはじめ、クラブCBGBなどで巻き起こった新しいロックのスタイル。
74年に渡米したマルコムが後期ニューヨークドールズのマネージメントを務めたのがきかっけで、自国イギリスでもその刺激的なロックを展開しようと作り上げたバンド。それが「セックス・ピストルズ」だったのです。
マルコムの店の常連だったギターのスティーブ・ジョーンズとドラムのポール・クック
店員だったベーシストのグレン・マトロック、オーディションで参加したボーカルのジョニー・ロットン
この4人の作り出すロックンロール、過激な言動、刺激的なファッションは、当時のイギリスの不況で行き場を無くしていた若者達の共感を呼んで一大ムーブメントと化すのです。いわゆるパンク・ロックのファッション的要素や音楽的特徴はまさにこのバンドのイメージそのものだったと言えるでしょう。
そしてそれはまさしくマルコムの思惑通りの展開。
徹底的に周囲に反抗し、権力、王室、既存のロック、観客までにもツバを吐く…度重なるレコード会社の契約破棄や警察沙汰をもこのバンドの象徴となりました。
’77年アルバム「勝手にしやがれ」発表。
全英No.1を獲得するも直前に大半の曲作りに関わっていたベースのマトロックが脱退。その後任にピストルズの熱狂的ファンだったというシド・ヴィシャスが加入。
ベース未経験での参加ながら、そのスタイル、ドラッグ中毒、過激な言動はまさにパンクの象徴として語られる存在となりました。
’78年バンドはアメリカツアーを敢行するもトラブルとハプニングが続き、ツアー中に「ロックは死んだ」という発言と共にジョニーが脱退。バンドは終焉を迎えることとなります。たった1年数か月の活動でありました。
さてバンドの解説はここまで(笑)。
私自身学生時代はハードロックに傾倒していたのですが、当時は明らかにハードロックとパンクロックのファンとの対立ともいうべき状況がありました(笑)。
古いロックの長髪、ダサい、つまらないに対してパンクの下手くそ、短髪、過激、といった対立構図はファンの間でもしっかり別れていたのです(笑)。
そんなこともあり、私自身も当時パンクというカテゴリーは敬遠していたのです。まあ今となっては信じられないのですが(笑)。
そしてまがりなりにもこんなブログを始めたり、様々なロックを聴きこむ中で、このピストルズやクラッシュはじめ、数々の当時パンクと呼ばれていたバンドの格好良さを再確認した次第です。
ここまで登場を引っ張ったのはそんな個人的事情もあったのです。みそぎですね(笑)。
当時、下手!と思い込んでいた演奏も、じっくり聞けば全然そんなことはなく、テクニックとは別次元なハイエナジー・ロックンロール
特にピストルズのアルバムで聞かれる重厚なギターサウンドは、名プロデューサー、クリス・トーマスの手腕も相まって最高ですね。
実は当時もこっそりコピーして弾いてみたりもしてい事もあり…(笑)もしそこではまっていたら…きっと別な人生になっていたかも知れませんね(笑)
そんな話も納得出来るのは他のパンクバンド同様、ブームと呼ばれた後にもしっかりとした音楽性をもってメンバーが業界に生き残っている、という部分でも証明されています。
ジョニーがその後、本名ジョン・ライドンに改名してから結成したP.I.Lの前衛的なアプローチなどもその一端と言えますね。
唯一その後シド・ヴィシャスが破滅を地で行くが如く、恋人ナンシーの死と共に21歳にして薬物の過剰摂取で他界。伝説となってしまいました。
ピストルズ自体はその後数回の再結成を行っています。
若さに任せた衝動を売りとしていたパンクバンドの再結成には個人的に?がつきますが、はっきりと「金のため」と発言したり(笑)’06年のロックの殿堂入りの話も足蹴にしてみせるなど、ある意味一貫したポリシーも見て取れます。
そう言えば余談ですが、私が中学の時のお昼の校内放送で、シドがのちにソロとして発表したシナトラカバーのふざけた「マイ・ウェイ」を流した強者がおりまして(笑)、先生が血相変えて放送室に飛び込むという事件がありました(笑)。
さて動画はドライブ感抜群なマトロック時代か、はたまた演奏はガタガタでも象徴的なシド時代にすべきか悩みましたが…やはり動くシドの姿、曲も定番の「アナーキー〜」や「ゴッドセイヴ〜」ではなく、(笑)シドの書いた「ボディーズ」をチョイスしました。
超有名映像ですが、ジョニー脱退直前まさに伝説のウインターランドのライブから。
それではどーぞ!!


「Bodies」 (1978)





↓唯一のオフィシャルアルバムにデラックス・エディションをおすすめ!



| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年8月15日 (土)

Earth & Fire

息子 「やっぱりアフロだよな〜」
父 「おう、何を見てるんだ?」
息子 「アース&ファイヤーだよ! このシーズン…」
父 「おいおい、9月にはまだ早いだろう」
息子 「?」
父 「ん?セプテンバーだろ?アースウインド&ファイヤーの」
母 「あなたー、何言ってるの!オランダのロックバンド、アース&ファイヤーの事よ」
父 「え?でもアフロって」息子「ボーカルのジャーネイはデビューの時アフロだったんだよ」
父 「なんだぁそっちかあ。シーズンって曲名か!」
娘 「お父さんは本当におっちょこちょいなんだから!」
全員 「あはははは!」

久しぶりに伝ロク名物「おとぼけ家族」の訳のわからないフリが出てしましましたが今となってはついつい勘違いしてしまうのもしょうがないのでしょうか…オランダのバンド、アース&ファイヤーのご紹介です。
オランダといえばプログレのフォーカス、ヴィーナスのヒットで知られるショッキング・ブルーなど特徴的なバンドが多いのですがまさしくこのバンドもその流れと言ってよいでしょう。
ギターのクリス・ケーツ、キーボードのゲラルド・ケーツの兄弟とベースのハンス・ツィーク、ドラムのセース・カリスにボーカルのジャーネイ・カーグマンが加入してのデビューが’70年の事でありました。
タイミング的にはこちらがアースウインド&ファイヤーよりも早いでしょうか。
デビューアルバム「アース&ファイヤー」サイケ風味のロックといった印象。デビューシングルは世界発売され、本国では2位のヒット。日本でもなかなかのヒットでしたので、当時の印象をお持ちの方も多いのでは。
しかしこのバンドの真骨頂はここから。キーボードのゲラルドがメロトロン(テープを鍵盤で鳴らすあの楽器)を手にすると一気にプログレッシブロックに。
'71年のアルバム「アムステルダムの少年兵」は片面が組曲という完全無欠のプログレ。翌’73年リリースの「アトランティス」もメロトロンが大フューチャーな実に叙情的な名盤となりました。
この後メンバーチェンジを経て’75年に「来るべき世界」をリリース。
これが叙情的というよりも、どうもエレクトリック風味が増えたという印象だったのですがここからぐんぐんエレクトリックでポップな路線に傾いていきます。
アルバムではまだ長く複雑な曲調も残すものの、ダンサブルな要素が増えていき、’79年のシングル「ウイークエンド」はトロピカルなエレポップソング、いかにも80年代というメイクのジャーネイがクネクネ踊りながら歌うというある意味トホホな状況…。
しかしながらその曲が時代の流れからバンド最大のヒットになるというのも皮肉な話ですね。
バンドは一時休止をはさみながらも90年まではリリースがあったようです。
デビューのアフロから’80年代のメイクまで、ボーカルのジャーネイは同じ人?と思わず言いたくなるような変貌ぶりですが、バンドのサウンドもプログレを基盤に時代を取り入れて変化して行ったという事なのですね。
さて動画ですが、本当は最初期のジャーネイがアフロ時代をやりたかったのですが存在しているものがほぼ当て振り…苦心の末バンドとしては一番脂がのっていたと思われる、’73年アトランティスからのヒットナンバー「メイビー・トゥモロウ、メイビー・トゥナイト」をお届けいたしましょう。
特に本文でも話題になった楽器メロトロンを駆使するゲラルドにご注目!
はい、上の蓋が開いているので構造がよくわかりますね(笑)!
それではお楽しみ下さい!


「Maybe Tomorrow, Maybe Tonight」 (1973)






↓動画はサードアルバム「アトランティス」からですが、個人的にはセカンド「アムステルダムの少年兵」が押しです。プログレではありませんが、サイケロックがミニマムに展開しているファーストもおすすめです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年5月 5日 (火)

Atomic Rooster

まだ出ていなっかたのか!のアトミックルースター登場です。
アトミック・ルースターは’68年結成のイギリスのバンド。
プログレッシブ・ハードロック・バンドです。ここ日本で話題になるのは、プログレッシブロックを代表するバンドの一つ、EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)のドラマー、カールパーマーがEL&P加入直前に参加していたバンドという肩書きですね。
中心人物はキーボディストのヴィンセント・クレイン
当時頭に火のついたロウソク乗せて白塗りで熱唱するオッさんのバンド(笑)「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」のメンバーだったクレインとパーマーが脱退、ベーシストでボーカリスト、フルートもこなすニック・グラハムとのキーボードトリオ編成のもと、アルバム「アトミックルースター登場」でデビューとなります。
このアルバム、クレインの変幻自在のオルガンとパーマーの超絶テクゆえ、プログレの名盤として非常に評価が高いのですが、直後にパーマーがEL&P参加のために脱退。 フロントマンのニックも抜けてしまいます。
ここからバンドほ軌道修正。アンドロメダのギタリストだったジョン・カンが加入、ドラマーにポール・ハモンドを迎えてのギターとオルガンのバトルありのハードロック・プログレバンドとして変幻を遂げるのです。
アルバム「悪魔の答」、専任ボーカルにピート・フレンチが加入のサードアルバムとこの第2期から3期の編成が私的にも超ツボ。
動画も多くみられますが、ジョン・カンのキレキレのギターが素晴らしい!
この路線で突き進めばディープ・パープルやユーライア・ヒープに肩を並べる大物となるのも時間の問題と思われましたが、アルバム毎に変化する尋常ならぬメンバー・チェンジの多さが災いしたのでしょうね(笑)。
この後バンドはさらに路線変更(笑)カンが脱退して、ボーカルが元コロシアムのクリス・ファーロウが加入、 R&Bテイストに。
ここでリリースされたアルバム。’72年の「メイド・イン・イングランド」が英、日ではなんとデニム地製のレコードジャケットでした。(特殊レコードジャケットに目のない私ですので、いずれゲットしようと狙っております)
さらにメンバーチェンジを行ったのち’73年に解散となります。
動画としてはブログ的にも流れ的にもジョン・カンのハードなギターを!となるのでしょうが、そうは行かないのが個人の趣味優先の当伝ロク(笑)。
第1期、カール・パーマー在籍時の貴重な動画を持ってまいりました!
レコーディング・スタジオでのセッション、デビューアルバム「アトミックルースター登場」から「S.L.Y」です。
当て振り(爆)、しかも2分程度であっさり切れてしまいますので、皆様的には若干欲求不満ですよね…。申し訳ありません!
しかし、この動画での初代ベーシスト&ボーカリストのニック・グラハムが格好良いのです!
なぜなら! 
ここで使っている赤いフェンダー・ムスタング・ベースは、手前味噌ながら私がライブの時に使用している楽器と年代的にも色まで全く同じものなのです(笑)。
ショート・スケールというサイズと物足りない音色(笑)のため、プロのベーシストが使うのは大変レアなケース…。
思わずこの動画を選ばずにはいられませんでした(笑)。なんて手前味噌なんだ(笑)!
ジョン・カン在籍時のハードロック然とした動画はまたの機会にお届けいたしましょう。
この後アトミック・ルースターは’79年に再結成。
ジョン・カンの戻ったハードサウンドを展開していたようですが、’89年に中心人物のクレインが故人となってしまい、ジ・エンド…となりました。
では勢いあふれるレアな演奏シーン、短いですが…お楽しみ下さい!



「 S.L.Y」(1970)


↓映像が第1期ですからデビューアルバムをご紹介しましょう。ジョン・カンのギターと歌をダビングしたアメリカ盤も良いですが、私的には当初のコンセプトをしっかり感じる事のできる、クレイン、グラハム、パーマーの3人のみで録られたイギリス盤を強くおすすめしておきます。名盤!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年1月 4日 (日)

Mama Lion

世の中すっかり甘口が多くなった…とお嘆きの諸兄に久しぶりにパンチのあるアーティストをご紹介いたしましょう!(表現が古い(笑)。)
実に久しぶりの「麗しの女性ロッカー編」「ママ・ライオン」のご紹介です。
ママ・ライオンと言えば知る人ぞ知るセクシー・ジャケットでおなじみ。
72年のデビューアルバム、「プリザーブ・ワイルドライフ」に鮮烈なイメージをお持ちの方も多いでしょう。
恥ずかしながら実は私、最近まで認識がありませんでした…。
しばらく前から変形・特殊ジャケットに興味を持って検索しているうちにたどり着いた逸品がこれ(笑)。
檻のようにカットされた見開きジャケットを開くとバンド名さながらにリード・ボーカルのリン・ケアリー嬢が赤ちゃんライオンにお乳をあげている姿が…。なんと大胆な!
それもそのはず、リン・ケアリーは当時ペントハウス紙の表紙やグラビアにも登場していたモデル、女優でもあるのですから!
しかしあなどれないのはその歌唱なのです。ジャニスも真っ青の強烈なスクリーミングボイス&シャウトなのです!
話を戻しましょう。ママ・ライオンを語るにあたって重要人物となるのはベーシスト・ボーカリストでもあるニール・メリーウェザーの存在です。
カナダ出身のメリーウェザーが自身名義のバンドでデビューしたのが69年の事。
そして当時メリーウェザーのガールフレンドでもあったという女優でもあり「C.K.ストロング」というバンドでボーカルをしていたリン・ケアリーを迎えて結成されたサイケ風味のブルース・ロック・バンド「アイヴァー・アヴェニュー・リユニオン」のリリースが70年。
その後「メリーウェザー&ケアリー」名義でのファンク、R&B風味のアルバム「バキューム・クリーナー」の発表が71年。
すでにケアリー嬢の強烈な歌唱はかなりなものでした。
そして72年に結成されたバンド「ヘヴィー・クルーザー」
メリーウェザーに加えドラムにコフィ・ホール、ギターはリック・ギャクシオラ、キーボードにジム・ホワードというこのカナディアン・ハード・ブルースロックバンド
もう別にここで取り上げたくなるようなかっこいいサウンドなのですが、同年ここにリン・ケアリーを加えた女性ボーカル版のバンドというのがこの「ママ・ライオン」というわけです。あー長かった(笑)。
デビューアルバム、「プリザーブ・ワイルドライフ」での前述のリン・ケアリーのボーカルは凄みがあって本当に迫力満点
ハードなギターとリズムセクション、クラシック畑出身のジムの一味違うピアノとハードなオルガンプレイ
「ヘヴィー・クルーザー」含め私自身が今まで巡り会えなかったのは不覚と言っていいでしょう(笑)
その後73年にリリースされた「ギヴ・イット・エヴリシング・アイヴ・ゴット」もさらに深みをました良盤ながら、オリジナル・アルバムはここまでとなります。
その後メリーウェザーはソロアルバムの制作や数々のアーティストへのレコーディング参加。プロデューサーとしての活動(なんとリタ・フォードも含む!)へとシフトして行きます。
一方リン・ケアリーもソロでの楽曲リリースなどもあったのですが、90年代からはあろうことかジャズ・ボーカルに転身!
モスクワでビッグ・バンドとの共演など驚きのキャリアを積んでいます。
現在70歳にも届こうとする彼女ですが、年齢とともにダイナマイト・ボディはすっかりスリムに…いや当然と言えば当然ですが、晩年横に拡がるアーティストさんが多い中(笑)、驚きの風貌と歌唱力
いやはや今流行りの「美魔女」どころの騒ぎじゃありませんぜ、旦那!(爆)
では動画です!
活動期間が短いながらもあります生演奏。 ここは有名なドイツのTVショーでのパフォーマンスから「キャンディー・マン」でまいりましょう。
73年のこの時すでにメリーウェザーは脱退しており、ベースはジャドソン・ハスとなっています。
どうやらメリーウェザー在籍時の動画は残っていないようですね…残念。
しかしながらセクシーかつど迫力なリン・ケアリーの歌唱キレキレのバンドのグルーブは十分堪能していただけるはず!
それではどーぞ!



「Candy Man」(1973)



↓未発表音源にリン・ケアリーのソロ音源も加えたアルバムも2001年、2013年に発売されています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年8月14日 (木)

Family

「渡世人」と言えば寅さん?
いいえ、ジョン・ウエットンでございます(笑)。
久しぶりの「こんなバンドにおりました編」はそのジョン・ウエットンが在籍していたバンド、ファミリーのご紹介です。
ジョン・ウエットンはロック界きってのベーシスト&ボーカリスト。
キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジアなどプログレッシブ・ロックを中心に数々の伝説のバンドを渡り歩いて来た重鎮。
ロック好きの方ならあちらこちらで目にするはずですし、当ブログでも必然的に何度も名前が上がる脇役の常連と言えます。
そんなウエットンがキング・クリムゾン加入前に参加していたのが、このファミリーというバンドなのです。
などと書くと全国一千万の(笑)ファミリー・ファンのブーイングを浴びそうなので言わせていただきますと、彼が在籍していたのはたったの1年。
それはさておいてもファミリー自体は60年代から70年代のブリティッシュロックを語る上では欠かせない伝説のバンドなのです。
ファミリーは’68年のデビュー。ギタリストのチャーリー・ホイットニーとボーカル・のロジャー・チャップマンが中心メンバー。
デイブ・メイスンのプロデュースによるデビューアルバム 「ミュージック・イン・ア・ドールハウス」 はその多様な音楽性とサイケデリックな感覚でプログレに分類されるようですが、バンド自体はジャズやR&B、フォークなどの影響も色濃く、もっとアーシーな印象です。
続くセカンド 「ファミリー・エンターテイメント」 発表後メンバーチェンジを行い、元アニマルズのジョン・ワイダーがベースに、キーボード・ビブラフォン・フルートなどをこなすポリ・パーマーが参加。
70年にアルバム2枚を発表してのツアーなどバンドは円熟期を迎えます。
しかしその後ベース・のジョン・ワイダーが脱退。
そこで白羽の矢が当たったのが当時モーガル・スラッシュや数々のセッションなどで活動していたジョン・ウエットンだったわけです。
71年6月に加入後バンドは6枚目のアルバム「フィアレス」を制作。
このアルバムでのウエットンはギター・コーラス・キーボードまで担当、その存在感を発揮。
続くアルバム「バンド・スタンド」でもサウンドの要として名盤と呼ばれる所以となった訳です。
しかしアルバムの9月のリリースを待たずして、ロバート・フリップからの新生キング・クリムゾンへの参加要請を受諾。6月にはバンドを離れていたとのこと。
その後の彼の活躍はご存知の通り。
バンドからはポリ・パーマーも脱退し、その後アルバム1枚を制作するも解散となってしまいます。
このバンドのキモはなんと言ってもソングライターであるホイットニーとチャップマンでしょう。
特にボーカルのチャップマンのパフォーマンスの振り切れ度が半端ない(笑)。
ヘッド・バンギングならぬ首を横にプルプルふる65度、尋常じゃないタンバリンのぶっ叩き方が75度、若くして後退した生え際95度(笑)。
異様ともいえる「ちりめんビブラート」は彼以外にビートたけししか知りません(爆)。
冗談はさておき、動画のご紹介にまいりましょう。
ウエットン在籍時の映像がいくつか残っておりますが、TVショーの映像から。
アルバム「フィアレス」を代表するナンバー「スパニッシュ・タイド」です。
まず目を惹くのがウエットンとホイットニーの二人が使用しているWネックギター。ウエットンはベースとギターのWネック、ホイットニーは12弦と6弦ギターのWネック。ウエットンはイントロでギター、途中でのリードボーカルと存在感ありますよね。他の曲ではホイットニーとのツインリードも披露しています。
そして風貌。 なにしろ色男(笑)。
現在の横に拡がった姿が…(爆) まあいいでしょう。
それからパーマーの歪んだビブラフォンもかっこいい。この人のセンスがファミリーのサウンドに大きく影響しているのは間違いないところでしょう。
話は変わりますが、私最近アナログ盤の変形ジャケットというものを収集しております。
ファミリーのウエットン在籍時の2枚のアルバムは変形ジャケットとしても有名でありまして、この2枚を手に入れた事が今回取り上げたきっかけでした。
ちなみに「フィアレス」はメンバーの顔のイラストが多層的に重なったもの、バンドスタンドはテレビのブラウン管の中にメンバーがいる、といった趣向のもの。
再発CDでも同じデザインで出ていたりしますが、やはり大きいレコードジャケットでお見せしたいところです。
ちなみに私、ジョン・ウエットンと誕生日が一緒だったりします。余談でした(笑)。
では若き日のウエットンの勇姿をごらんあれ!



「Spanish Tide」(1971)



↓とりあえずウエットン在籍時の2枚をご紹介。アナログ盤の変形ジャケットも必です。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年5月 3日 (土)

Shoes

さあ行きますよ!パワーポップの伝説のバンド、シューズの登場です!

……はい、無理もないですね(笑)
ではではご紹介していきます。74年に米イリノイ州ジオンで結成されたシューズ。
メンバーはジョン・マーフィー(ベース)とハイスクールの同級生ゲイリー・クリープ(ギター)にジョンの兄ジェフ・マーフィー(ギター)が参加して誕生。
ドラムにスキップ・メイヤーが参加したのち77年にリビングで制作した自主制作盤「ブラック・ビニール」が話題となり、79年に米エレクトラレーベルよりアルバム「プレゼント・テンス」でメジャーデビューとなります。
キャッチーなメロディーにハードなサウンド美しいボーカルハーモニーというパワーポップのジャンルは私にとって大好物なわけですが、彼らもご多分にもれずそれらを兼ねそろえていて、現在パワーポップ界の重鎮とかまで言われております。
彼らよりデビューの早かった同郷イリノイ州ロックフォード出身のチープトリックの方が圧倒的に有名になってしまったため、なかなか語られる事はなかったと言えます。(そういう私も後追い…邦盤も出なかった)
彼らの場合は美形ではありますが結構格好も地味ですし(笑)曲もシンプルなリズムとリフを延々繰り返す、といった感じで今ひとつインパクトに欠ける感じは否めなかったのかもしれません。
1曲聞いたら大名曲だけどアルバム通したら、全部これ ?的な(失礼!)でもそんなバンドは世の中に沢山ありますし、ある意味そのブレの無さが確かな音楽性の確立に寄与するわけで、まさに今となっては(まだ活動中!)最高にリスペクトするポイントな訳です。
フロント3人皆が曲作りをし、全員がリードボーカルをとれるというのは何と言っても強みでしょう。
81年にセカンドアルバム「タン・ツイスター」82年に3枚目「ブーメラン」とリリースし、サウンドもぶ厚い感じになり評価が高かったのですが、彼らのメジャーでのリリースはここまで。
おりしも時代はニュー・ウェイブ全盛。その後は自主レーベルで初期のレコード名を冠した「ブラック・ヴァイナル」(今ならこう読みますね)を立ち上げての活動となります。
80年代90年代と様々なパターンでリリースを続け、07年ジェフ・マーフィーのソロ、09年来日に合わせて音源がリマスター紙ジャケCD化されるなど根強い人気を誇ります。
さらに2012年には18年ぶりの新作「イグニッション」を発表見た目はオッサン化したもの(笑)、全く変わらないサウンドを披露してくれています。
なおドラマーは途中からリック・メンクに、新作ではジョン・リチャードソンとなっています。
さて動画ですが、やはり代表曲の「トゥモロー・ナイト」で行きましょう。
彼らのサウンドを初めて聞いたときにちょっと個人的に引っかかることがあったのですが、動画を見て謎がとけました。ベースのジェフがヘイマーの8弦ベースを使用していたのです!
分厚いサウンドはそのせいだったのです。
ちなみに私のアイドル、イリノイ出身のチープ・トリックのベーシスト、トム・ピーターソンもやはりヘイマーの複弦ベース(12弦ね)を使用しており、なんだこの複弦率の高さは…やるなイリノイ州!、と思っていたらヘイマーってイリノイで作ってたんですね!納得!
シューズのギター陣もヘイマーをメインで使用してますし、あふれる地元愛を感じますね!
やはり彼らの魅力はこのビートと甘いボーカル・ハーモニーでしょうね。このベタ甘な感じでも他のティーニー・ポッパーやバブルガム・バンドのような作られた感(爆)がまったくないのは彼らがオリジナリティーあふれるロックバンドである証拠とも言えます。
それでは81年テレビ出演での初々しいパフォーマンスからどうぞ!


「Tomorrow Night」 ( 1979 )



↓やはりここはメジャーデビューアルバムを推しておきますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年1月 2日 (木)

Talking Heads

'77年デビューの「トーキング・ヘッズ」
パンク・ニューウェイブの代表バンドの一つとして取り上げないわけにはいかないでしょう!
バンドの中心人物はギター・ボーカルのデヴィッド・バーン
美術学校に通う彼のバンドに、クリス・フランツ(ドラムス)とティナ・ウェイマス(ベース)が加入しトーキング・ヘッズと名乗るようになったのは74年頃でありました。
ラモーンズ、パティ・スミス、ブロンディなどそうそうたる顔ぶれを輩出したニューヨークのライブハウス「CBGB」に出演、75年頃には常連となっていたそう。
ジェリー・ハリスン(ギター・キーボード)が加入したデビューアルバム「サイコ・キラー'77」は 荒削りながら評判を呼び、78年の2作目「モア・ソングス」ではブライアン・イーがプロデュース
このアルバムからのシングルでアル・グリーンのカバー「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」がビルボード26位となり、一躍注目をあびるようになったわけです。
トーキング・ヘッズと言えば、良くも悪く(?)もデヴィッド・バーンの個性的なパフォーマンスに尽きるでしょう。
その神経質かつ、しゃくる様なボーカル、中性的な感じは間違いなくその後のニューウェイブの一つのアイコンとなっています。
当ブログでは何度か告白しておりますが、当時私はハードロック少年だったため(笑)このニューウェイブ特有の感じがダメで(爆)、正直当時全くなびかなかった(笑)。
先入観というのは恐ろしいもので、近年改めて聞き返してその良さに気づくという事も多々あり…。まさにトーキングヘッズもその一つと言えるのです。
さて次作「フィア・オブ・ミュージック」ではキング・クリムゾンのロバート・フリップが参加。
80年発表の「リメイン・イン・ライト」ではイーノの下アフリカのミュージシャンを参加させてのアフリカン・ビートとを融合。これが見事にはまり、バンドの不動の地位を確立したと言えます。
かつてのパンクという一つの切り口でまとめられたバンドの数々が、様々な音楽を融合して進化していった形がまさにこのトーキングヘッズでも体現されていたと言うべきでしょう。
この時期のライブではメンバー以外のアフリカなどのサポートミュージシャンが大挙参加。
ステージの途中ではバンド内ユニットとも言うべき「トム・トム・クラブ」(ティナ・ウェイマスとクリス・フランツのリズム隊中心のダンスポップ。なおこの2人は夫婦!!)がパフォーマンスを行うなど、エンターテイメント性の高いものになっていました。
その後各メンバーのソロ活動があったり、ドキュメンタリー映画が制作されたり、さらには「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」などのヒット曲は出るものの、バンドは徐々にメンバーそれぞれの方向性に進んでいった感は否めません。
そんな中85年にリリースされた「リトル・クリーチャーズ」はメンバー4人のみで原点に回帰した作品であり、個人的にはお気に入りであります。
その後ツアーが行われないまま89年に最終作「ネイキッド」がリリースされ、解散となりました。
私個人としてのトーキングヘッズはですね、すみませんベースの紅一点ティナですね(爆)。私自身がベースを弾いたりしている点、また最近使用している楽器が一時期のティナと同じ楽器(ムスタング・ベース)なものでつい…(笑)。
特にデビュー直後の小さい体でビートを弾き出す姿はたまらないですよ!
どーですかご同輩!
あ、すみません取り乱しました(爆)。
その後デヴィッド・バーンはソロ、またワールド・ミュージックを取り上げたレーベルの立ち上げなどでその手腕を発揮。
一方ティナとクリスは「トム・トム・クラブ」として現在も活動を続けています。
再結成めいた形も何度かありましたが、バーンと他メンバーとの音楽的溝は大きく、今後の再結成は望み薄、と言った所でしょうか。
さて、動画です。私的にはやはり初期のロック然とした持味の生きる代表曲「サイコ・キラー」で行きたいところ。
有名なのはイギリスBBCのテレビ、「ジ・オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」での映像ですが、ここは貴重性を優先してデビュー前75年のCGBGでの映像をお届けしましょう!
近年ドキュメンタリーの中で発掘されたもの、モノクロで画質音質最悪ですが、ここでの荒っぽい演奏こそがまさしくロック!ぜひご覧下さい!
なおこの時はまだバーン、ティナ、クリスのトリオ編成となっております!
それではどーぞ!!


「Psycho Killer」(1975)


↓代表作はあれど、私的にはこのデビュー盤であります。












| | コメント (0) | トラックバック (0)

«Brinsley Schwarz