2010年1月 5日 (火)

The Move

60年代後半のイギリスに、キラ星のごとく存在した伝説のバンド達…。今回は「ザ・ムーヴ」のご紹介です!
ご存知、ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の前身となったバンドなわけですが、サイケデリック・ムーブメントの全盛の中、68年にデビュー。
5年間の活動のうち、全英チャートに7曲のトップ10ヒット送り込むなど、当時のシーンを語る上で欠かすことの出来ないバンドであります!
中心人物は「奇才」ロイ・ウッド
なにが凄いって、実にポップセンスあふれる楽曲のコンポーズをはじめ、楽器はギターからオーボエやサックス等の管楽器、チェロまでこなす多芸ぶり。
そしてそのひと癖もふた癖もあるアレンジの才能。
ゆえに送り出された1stアルバムは実にポップでキャッチー、ロックンロールからドゥワップまで多様な音楽性をビート感の溢れるギター・ポップにまとめ、様々な楽器でサイケデリック風に味付けした、とでも言ったら良いのでしょうか?正に名盤でした。
また忘れてならないのがそのコーラスワークの素晴らしさ、そしてライブでも実証されていますが、ボーカルのカール・ウェインをはじめとする一本筋の通ったロックなパフォーマンス
しかしヒットバンドの宿命か過酷なツアーの後にギターのトレヴァー・バートン、ベースのエース・ケフォードが脱退。
発表されたセカンド・アルバム「シャザム」は正味6曲ながらもハード・ロック寄りのアプローチも見せるなど、パワー・ポップ好きには見逃せないアルバムでありました。
ですがこの時点でボーカルのカールも脱退してしまい、グループに大きな変化が訪れます。
70年に、同じくイギリスで「アイドル・レース」というバンドで活動していたこれまた天才、ジェフ・リンがさらなる成功を求めて(?)加入。
デビュー曲がムーヴの「ザ・レモン・ツリー」のカバーであり、ヒット曲「ファイアー・ブリゲイド 」のレコーディングにも部屋を貸した(?)という話もあるぐらい、かねてからの友人だったジェフの加入により、バンドの音楽性は飛躍的に進化。サードアルバム「ルッキング・アウト」を発表。
さらにベースのリック・プライスが外れ、ロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベヴ・ベヴァン3人となったバンドは72年にアルバム「メッセージ・フロム・ザ・カントリー」を発表。
ロイ・ウッドの風貌が毛だらけの仙人、魔法使い化するに伴い(笑)、このままELOになって行く、というわけです。
私的な思い入れですが、このアルバムに収められた「ドゥ・ヤ」という曲(名曲!)を私の個人的フェイバリットアーティストであるトッド・ラングレンが自身のバンドの75年のライブ・アルバム「アナザー・ライブ」でカバーしていて、さすが、目の付け所が違う!と唸ったのを覚えております。
ロイ・ウッド、ジェフ・リン、トッドと奇才天才同士、類は友を呼ぶのだなぁと思ったりして(笑)。
さて動画でありますが、かくも初期と後期では様相の違う「ザ・ムーヴ」でありますので、迷いました…(笑)。
後期のロイがサックス吹いてたり、ベース弾いてたり、はたまたジェフ・リンがギターだったりピアノだったりという数々の動画もご紹介したいのですが、まあ後のELOと被る部分もありますので、ここは私個人の好みでビート・ロック感溢れる初期の映像で行きましょう!
曲は「アイ・キャン・ヒア・ザ・グラス・グロウ 」で行って見ましょう!(当時邦題は「緑の草原」となっていたと記憶しております)
お馴染みドイツのTVプログラム、「ビートビートビート」67年出演時の映像です。
フェンダー・エレクトリックXIIを抱えたロイ・ウッドがほとんど写りませんが(爆)、この躍動感溢れる感じは、さすが「ザ・フー」をも彷彿させる、と言われたのもわかります。
デビュー直後のみずみずしいライブをどーぞ!




「I Can Hear the Grass Grow」(1967)




↓ファーストアルバムのデラックス・エディションが出てます!これは聴くべし!



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2009年11月24日 (火)

Talas (Billy Sheehan)

娘 「お父さん!ビリー・シーンて凄いんだよね!」
父 「おぅ、途中のムーン・ウォークが見ものだったんだけど、もうあのダンスが見れないとなるとなぁ…(泣)」
母 「あなた、なに言ってんのよ。それはマイケルのビリー・ジーンでしょ。そうじゃなくて…」
 「そうよ!あの超絶ベーシストのビリー・シーンの事なのよ。」
 「ちょっと待った!父さんの時代はなぁ、ビリー・シーハンと呼んだもんだぞ。」
母・娘 「いやぁねぇー、古臭い!」
さあ、オトボケ一家はさておきまして(爆)、ギタープレイヤーマガジンの読者投票で5度のナンバーワンに輝き、今やロック界一の超絶ベーシストとしての地位を揺るぎない物としたビリー・シーンがデビュー時に率いていたバンド、タラスのご紹介であります!
ビリー・シーンと言えばここ日本の90年代以降のロック・ファンの皆様には「ミスター・ビッグ」のベーシストとしてのキャリアが一番通りがよいでしょうか。
私が彼の名前を聞いたのは80年代初め頃。
「タラス」というバンドのベーシストがもの凄いらしい、と。
実際当時タラスの音源は未聴であったのですが、ほどなく彼はヴァン・ヘイレンを脱退したボーカル、デイヴィッド・リー・ロスのソロ・プロジェクトにこれまた超絶変態技巧派ギタリスト、スティーヴ・ヴァイと共に参加。
私が実際認識したのはその頃でありました。
デイヴ曰く世界最強のストリング・セクションと称したこの2人のトリッキー且つ超絶な応酬プレイに完全にやられたという輩もも多かったのではないでしょうか。
そしてそこで再録音されていた「シャイ・ボーイ」というハイ・スピードナンバーこそが、タラスでのビリーの楽曲だったのです。 
「ミスター・ビッグ」では新しすぎますし、当伝ロックとしてはやはり彼の出所である初期のタラスでの映像をぜひ押さえておきたい!という訳であります。
ジミヘンのライブを見て衝撃を受けたというビリーがベーシストに転向してから初めてステージに立ったのが、11人編成のジャズバンド(オパスワン)だったというのは驚きですが、その後デイヴ・コンスタンティノ(G)マイク・ピッコロ(Dr)と「タラス」を結成。地元バッファローで数年の活動後(一時ビリーはドラマー、ロン・ロッコのバンドに加入していた時期もあった模様)ドラマーをポール・ヴァルガにチェンジして、インディーズながら79年にファーストアルバム「タラス」をリリースします。
長らく幻のアルバムとなっていたこのデビュー盤ですが、ローカルヒットとなった「シー・ソウ」を収録。
全員がボーカルを取れるある種パワーポップとも呼ぶべきアメリカン・ロックが展開されていましたが、その後82年に発表されたセカンドではグッとヘビー・メタル系のサウンドにシフト。
ビリーのソロ曲「NV43345」、「シャイ・ボーイ」等が収録されたこのアルバムは大いに話題となり、ビリー本人にはマイケル・シェンカーやらヴァン・ヘイレンなどから加入のオファーが舞い込んだのは有名な話です。
83年にはピート・ウェイに替わってUFOのツアーにも参加したりしたようですが、結局タラスに戻って84年にはライブアルバム「ハイ・スピード・オン・アイス」を発表。
この時点でビリー以外のメンバーは一新され、専任ボーカルとしてフィル・ナーロ、ギターにミッチ・ペリー、ドラムスにマーク・ミラーという布陣に変わっていました。
その後4枚目のアルバムの制作に入った話も聞かれましたが、結局ビリーがデイヴィッド・リー・ロスのバンドに参加する形で消滅、となります。
ここでビリー・シーンのベーシストとしての特徴にふれておきましょう。
フェンダーのプレシジョン・ベーステレキャス・ベースのネックをジョイント。
ハイポジションの指板はベンドとニュアンスを出しやすいようにスキャロップ(ザグリ)加工されていて、4弦のペグはローDに瞬時にチューニングダウンできるヒップ・ショット・ペグに交換。
極めつけはそのピックアップで、フロントにギブソンのEBタイプのハムバッカーを搭載、通常のプレベのピックアップと分けてステレオ出力してそれぞれにエフェクターをかける、という独創的なもの。(後年ヤマハより「アティチュード」という全く同じ仕様のシグネイチャーモデルが出てからはそちらを使用。)
通常、ベーシストは進化すると5弦や6弦などの多弦ベースに走り、チョッパー奏法などのスラップ奏法などジャズっぽい方向へ行くのが常なのですが、ビリーの場合は(基本)ひたすら4弦で、しかもフィンガーピッキングでの速弾きにこだわっている、という部分、私は好きですね!
しかしながら、2本指、3本指、4本指、ライトハンド、両手でのタッピングなど、上から下から前から後から(笑)自由自在にベースを弾き倒す様はまさに圧巻。
実は私事で恐縮ですが、私、ベーシスト出身でありまして、同じ凄腕ベーシストでもアイアン・メイデンのスティーブ・ハリスあたりだと、まだ「挑戦して見ようか!」という気も起きますが、ことビリーにいたっては最初から「無理!絶対に無理っ!」と思ってしまいますなぁ…。
さてようやく動画ですが(爆)、81年、トリオ時代のライブ映像をお届けいたしましょう。
曲はバラードですが、どーでしょう、このビリー1人が異次元な感じ(笑)。
タラス時代全般に言える部分ですが、曲の途中のオブリガード(オカズ)の部分はほとんどベースソロですから!
まあ、「ミスター・ビッグ」以降のビリーとしては、非常に楽曲の歌とアンサンブル重視のメリハリの利いたスタイルになり、必要以上に出すぎる印象は薄れましたが、そこもまた奥ゆかしい所でもあります。
で一方フュージョンユニットの「ナイアシン」では座ってのテクニック重視のプレイも見せる、という…。凄い人です。
ちなみにタラスは01年、また08年と初期時代のトリオで再結成し、いまだにバンドの存在感を見せ付けてくれているのも嬉しい限りです。
では若干画質に難がありますが、愛称「ザ・ワイフ」という初期の愛器を高めに構えて弾きまくる、若き日のビリーの勇姿をご覧下さい!



「Tell Me True」(1981)


↓アルバムとしては「ビリー・シーン:ザ・タラス・イヤーズ」でセカンドとライブが揃いますが、個人的にはなんと言ってもファーストがおすすめ!ハードなファンには??かもしれませんが、パワーポップ好きな私としてはドンピシャ!コーラスバッチリのアメリカン・ロックで楽曲良し!ぜひご一聴を!


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2009年11月 7日 (土)

Eddie Cochran

なにをコクラン、エディ・コクラン
というわけで(爆)久しぶりのレジェンドの登場はエディ・コクランであります!
現在のロック・シーンにおいて、エディ・コクランは彼の名前そのものよりも、その楽曲のスタンダード化によって印象づけられている、と言っても過言ではありません。
「ザ・フー」や「ブルーチアー」、日本では「子供バンド」など数々のカバーで知られる「サマータイム・ブルース」、ストーンズやストレイ・キャッツのカバーが有名な「トゥエンティ・フライト・ロック」、ハンブル・パイやUFOのカバーもある「カモン・エヴリバディ」などなど、枚挙にいとまがありません。
これらの曲を耳にすれば、「おー!聞いた事ある!」という人がほとんどだと思います!
ミネソタ州の片田舎出身のエディ。
55年にハンク・コクランとコクラン・ブラザースを決定。ブラザースといいながら苗字が同じだけだったらしいので、「堂本兄弟」的な感じですね(笑)。
カントリー・ヒルビリーだったのですが、ほどなく、エルビス・プレスリーのステージに衝撃を受けてロカビリーに転向。
ハンクと袂を別ったエディは「スキニー・ジム」という曲で弱小レーベルよりソロデビュー。
さらに56年の映画、「女はそれを我慢できない」に出演して自作曲「トゥエンティ・フライト・ロック」を披露したところ、大好評。
この時期ロックスターが映画に出演してヒットにつながった例は多かったようです。
その後エディは57年にジョン・D・ルーダーミルクのペンになる曲「シッティン・イン・ザ・バルコニー」が大ヒットして当時のスターの仲間入りを果たすわけです。
さらに58年にリリースされた「サマータイム・ブルース」がビルボード8位のヒットとなり、順調な活動を続けるなか、悲劇への序章が始まります。
当初エディも参加する予定だった59年のツアーで、親交のあった、やはりロックンロールレジェンドでもあるバディー・ホリー、リッチー・バレンス、ビッグ・ボッパーらが乗った飛行機が墜落
ショックを受けたエディは一時活動を中断。
スタジオ・ワークに専念しよう、と考えていた矢先、60年にイギリスでもう一度だけツアーの話が持ち上がります。
「ビー・バップ・ア・ルーラ」のヒット曲でお馴染み、ジーン・ヴィンセントらとともに出たツアーは大好評
目撃したビートルズのメンバーやザ・フー、キンクスのメンバーにも多大な影響を与えた、と言われています。
しかし、ツアー途中でアメリカにに一時帰国しようとした4月16日、空港に向かうタクシーが街路樹に激突。
同乗のジーン・ヴィンセントとエディの婚約者でもあったソングライターのシャロン・シーリーは助かったものの、エディ・コクランは翌日帰らぬ人となってしまいました
母親に「もうすぐ帰れる」と電話した後の悲劇。
バディー・ホリーらの事故に際し、「スリー・スターズ」という追悼の曲まで録音していたエディ(発表は死後)。
わずか21才!彼も志半ばで同じ道をたどってしまった、という事になります。
なんという運命だったのでしょうか!
実質的な活動期間はたったの3年。しかし彼の革新的な楽曲と功績はしっかりと受け継がれています。
まずその楽曲。いわゆる当時のロカビリーの中にあって、印象的なギターリフを中心とした曲作り。彼自身がギタリスト兼、ソングライター、ボーカリストとしてのはしりであった事もあり、そのギターのうまさにも定評がありましたね!
特筆すべきはそのビート感ですかねぇ。この頃にあって実に直線的なエイトビートなんです。
若干のスイングチックな「ハネ」もあるのですが、当時を考えたら凄いことですよこれは。バックバンドがエレキベース使用、というのも大きいかもしれません。
現在でも健在だったらどんな風になっていたのでしょうか!!
さて動画は迷いました(笑)。
「サマータイム・ブルース」は私もかなり耳タコな(笑)コピーをやったクチなので捨てがたかったのですが、今回は「カモン・エヴリバディ」の映像をチョイス!
このビート感をお聞き下さい!とても今風(笑)ですよね!
イギリスのビート系のバンドがこぞって取り上げ、エディ自身も「ヒフティーズ・パンクロッカー」とか言われたのもうなずける気がします。
59年、ロサンゼルスのTV番組「タウンホール・パーティー」からの映像、トレードマークの55年のグレッチ6120のサウンドにも注目!
では伝説の映像をどーぞ!



「C'mon Everybody」(1959)


↓彼が亡くなった時ヒットしていた曲が「スリー・ステップス・トゥ・ヘヴン(天国への3つの階段)」。なんともいたたまれません。ヒット曲満載のベスト盤で。24ビットリマスターですよ!

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2009年10月 4日 (日)

doors,The (Revised Edition)

加筆訂正再登場(爆)!
ドアーズのボーカル、ジム・モリソンといえば、まさに伝説の男、と言って良いでしょう。
私がドアーズ&ジム・モリソンを始めて認識したのも、「ジム・モリソン詩集」という本だったように記憶しております。
人気ロックバンドのボーカリストにして詩人、攻撃的なパフォーマンスとセクシーなステージング。ドラッグ、アルコール、そして謎の死。
正に60年代のロックカルチャーを象徴するカリスマであったと言えましょう。
特に初期の強力なパフォーマンスはぜひとも動画で目に焼き付けておくべきです!
カリフォルニアのライブハウス、「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」でプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドのお眼鏡にかなったバンドは67年、アルバム「ザ・ドアーズ」でデビュー
同年、「ハートに火をつけて」が全米No.1 を獲得し、トップ・バンドへの道を歩み続けます。2枚目のアルバム、「まぼろしの世界」も名盤との呼声が高いですね。その後はあまり大きくなってしまったイメージのせいもあってか、若干そのキラメキを失った感じがありましたね…。
ブルース色を強めた71年のアルバム、「LAウーマン」収録後にボーカルのジム・モリソンがパリで死去。
その後残ったメンバーで2枚のアルバムを発表するも、さすがにバンドの中心人物を失った痛手は大きく73年に解散、となります。
バンドの形態としては、ベースレス、という非常に珍しいスタイルですが、レイ・マンザレクが紡ぎ出す左手のベースキーボードは独特なグルーブを生んでおりました。
独特のスケールで黙々とギターソロを弾くロビー・クルーガーも特徴的といえましょう。
さてその後のバンドですが、78年に生前のジムの詩の朗読にバンドの演奏を乗せたアルバム「アメリカン・プレイヤー」を発表したり、最近もカルトのイアン・アシュベリーをボーカルに加えたり、元ポリスのスチュワート・コープランドをドラマーに加えたりとして活動。
そう、それからビッグ・ネーム・バンドにありがちなバンド名の使用をめぐる訴訟
バンドは「21世紀のドアーズ The Doors 21st Century」と名乗ったりしてましたが、思わず「クリムゾンかいっ!」と突っ込みが入りそうですね…(爆)。
余談ですが、実は私、ブレイクする前から、メグ・ライアンのファンでありまして(笑)…、まあ、なぜそんな事を言うかと言いますと、91年にオリバー・ストーン監督によってドアーズが映画化された時にメグがモリソンの恋人パメラ役で出演していたんですね。
で、これは運命だ、と(なんの?)。速攻でレーザー・ディスクをゲットしましたから。
ただ映画の評判はあまり良くなかったようですね。モリソン役のバル・キルマー、そっくりだったんだけどねぇ。
さて、動画ですが、数々の名曲の中から私がチョイスしたのはシングル第二弾にしてNo.1ヒットとなった、「ハートに火をつけて」であります。
はじめてこの曲に出会った時、なんてカッコイイタイトルなんだ!と思ってました(笑)。
とっかかりとしては非常にキャッチーで、聞きやすかったってこともあったのかも。
実は私がこの記事を書いた時に当初公開させていただいておりました「エド・サリバン・ショー」に完全にガードがかかってしまいました…(爆)。今回やむなく加筆再アップという事で、改めまして68年、ヨーロッパ・ツアーの映像をお届けいたします!
ちょっと長いですが、完全に「イッちゃってる」(笑)ジム、各メンバーのソロも圧巻
会場のただならぬ雰囲気も当時の様子をよく伝えてくれてますね!
ともあれ、エド・サリヴァンも激昂した(笑)、伝説の名曲をお楽しみ下さい!

筆者注)
(この記事は07年5月17日の記事に加筆修正を加えたものです。)



「light my fire」(1967)


 

↓さらなる名曲「ジ・エンド」も収録!

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2009年9月25日 (金)

Huey Lewis & The News

ヒューイ・ルイスの芸名って、ドナルド・ダックの3人のいたずら好きな甥っ子「ヒューイ・デューイ・ルーイ」から付いたらしいですよ…。
どうも!80年代を代表するアメリカンロックバンド、「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」のご紹介であります!
メジャーもメジャー、しかも80年代ってことで、伝ロク的にどうか、というお話はありますが、まあ、最近マニアックな所が続いたので良しとしましょう(笑)。
結成は79年、サンフランシスコ。80年にアルバム「ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース」となるのですが、ここからのヒットはなく、82年のアルバム「ベイ・エリアの風」がヒット作になり、快進撃が始まります。
で意外と知られていないのが結成以前の下積み時代の話。ヨーロッパ放浪中に独学でマスターしたハープで、71年にカントリーロックバンド「クローバー」に参加したルイス。私も大好きな(笑)パブ・ロック界の大御所、ニック・ロウの誘いで76年に渡英。エルヴィス・コステロのデビュー盤にも絡むなどするものの、成功は得られず、シスコで出直しとなったらしいのです。イギリスで当たっていたらちょっと違った展開になっていたかもしれませんねルイスの抜群の歌唱力R&Bやソウルフルな音楽性をベースに80年代特有のキーボードとぶ厚いコーラスを乗せたサウンドキャッチーで疾走感溢れるもの。
前述のアルバム「ベイ・エリアの風」からの「ビリーヴ・イン・ラヴ」(全米7位)をかわきりに83年サード・アルバム「スポーツ」からは「ハート・アンド・ソウル」(全米8位)、翌年に入って同アルバムからは「アイ・ウォント・ア・ニュー・ドラッグ」 (ゴーストバスターズの元ネタ?) 「ハート・オブ・ロックン・ロール」ロッカバラードの「いつも夢みて」が軒並み6位を記録。
極めつけは85年、大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「パワー・オブ・ラブ」で悲願の全米No.1に。
その勢いで86年のアルバム「FORE!」からは 「ジェイコブズ・ラダー」「スタック・ウィズ・ユー」連続No.1でまさに一世を風靡したと言って良いでしょう。
もうこの辺は説明不要でしょうなぁ。
彼らの持ち味、といいますか、私個人の印象なのですが、いわゆるR&Bなどのブラックミュージック、オールディーズやソウルのテイストに白人音楽の代表でもあるカントリーの直線的な疾走感が絶妙にクロスした感じが凄いと思うのです。「アメリカン・ミュージック全般を包括した感じ」とでも言うのでしょうか。一部にはその「いかにもアメリカ」の感じ(笑)をスプリングスティーン同様、毛嫌いする人達もいるようですが、当人達は全く意識してないようですね(笑)。
それから特筆すべきはそのエンターテイメント性溢れるステージング
キメキメのアクションはもちろん、お馴染みのアカペラ・コーナーではメンバー全員でドゥ・ワップのスタンダードを時にはラメ入りジャケットまで着てバッチリ決めてくれます
しかしメンバー全員が歌えるっていうのは強みですねぇ。
そういえばかの「ベストヒットUSA」に出演した時も即興でアカペラを披露してくれたっけ…今や伝説ですなぁ!
さて動画ですが、これだけの人達ですから、有名曲はあえて外しまして…(爆)、時期としては「伝ロク」のセオリー通りなるべく古いものを、ということでこの辺が探せる限界か(爆)82年アルバム「ベイ・エリアの風」から「ワーキン・フォー・ア・リヴィン」という曲をチョイスいたしました。
ヒットとしてはスマッシュヒットどまりだったのですが、ライブでは本編ラストに演奏されることの多いノリノリのナンバー!
これでデビューしただけあって、定評のあるルイスのハープもブリブリに決まっております。
バックで盛り上げるのはこの後しばらく一緒にツアーを回ることになる「タワー・オブ・パワー」のホーン・セクション!この辺の人達にしっかりスポットを当てたヒューイ・ルイスの功績は大きいですね。
メンバーについて少しフォローしておきますと、ギターとサックスの両方をこなすジョニー・コーラの存在が大きいでしょうか。
不動(?)のベーシスト、マリオ・シポリナはまるでイタリア・マフィアみたいな名前と出で立ち、くわえ煙草でいかにも悪そうですが(爆)、実際に95年の脱退以降に本当に強盗と覚醒剤で逮捕されているのでシャレになりません(爆)(現在は無事更生。良かったね(爆))。
そう私何気にギタリストのクリス・ヘイズは結構好きなんです。なんで、といっても大きな理由はないんですが(爆、的を得たソロがなんとなく好きなんですよ。ちなみにこの動画のソロはイマイチですが(爆)、「いつも夢みて」の流麗なソロなんかは惚れ惚れします。
さてあれだけヒットしたのに90年代以降はパッタリとヒットの出なくなった彼らですが、どっこい、現在もバリバリ活動中。08年にシカゴと共にジョイントで来日したのも記憶に新しい所。
レーベルがあれこれ変わったり、ギタリストのクリスもついに不参加になってしまったようですが、ダイナミックなライブはそのままに円熟味も加わっているようです。
ライブでもヒットナンバーのオンパレードで、オーディエンス撮りの動画なんか、ぜーんぶお客さんが歌ってて、本人の声が聞こえないっつーの(爆)!
そういえば私が敬愛するトッド・ラングレンのプロデュースでソロ・アルバムの話があったけど、どうなったのかなぁ…。
それでは初々しさはありませんが(爆)若き日のハツラツとした好演、お楽しみ下さい!




「Workin' for a livin'」(1982)





↓動画曲収録のアルバム、「ベイ・エリアの風」。邦題がいいやね。西海岸系のバンドにはやたらこんなアルバムタイトルが多かったですね!もちろん、お馴染みのヒットを網羅したベスト盤のたぐいもおすすめです!


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2009年9月 9日 (水)

Manfred Mann

上から読んでも「マンフレッドマン」。下から読んでも「マンフレッドマン」。
あ、「ンマドッレフンマ」になるか(爆)。
60年代、イギリスのビートロック、モッド・シーンを語る上でも重要なバンド、「マンフレッド・マン」のご紹介!
キーボーディストのマンフレッド・マン(個人の芸名ね。)とドラマーのマイク・ハグが62年に結成したジャズ系のインストバンド、「マン・ハグ・ブルース・ブラザーズ」
ホーンセクションが抜け、ここにボーカル&ハープのポール・ジョーンズが加わってポップ・バンドと化したのが63年。その名も「マンフレッド・マン」(こっちはバンド名ね。)となったのであります。
TV番組、「レディー・ステディー・ゴー」のテーマソングとなって64年にヒットした「5-4-3-2-1」、まあ、オリジナルは彼らではなかったりするのですが、同年のNo1ヒット、「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」(エキサイターズ)や 「シャ・ラ・ラ」(シュレルズ)などなど、 一聴しただけで、「あっ、聞いた事ある!」となる名曲の数々
ポール・ジョーンズのR&Bやブルースに影響された歌唱を生かす一方で、アルバムナンバーではマンやマイク・ハグらがルーツとするクールなジャズ・テイストで攻める、など、その音楽性と演奏技術の高さは折り紙つき、と言えます。
さて動画ですが、ヒットナンバーも良いのですが、やはり多いのが当て振り…(爆)。せっかく演奏力の高いメンバーの集合体でもあるマンフレッド・マン、生演奏でチョイスしたい、ということで引っ張ってきたのがこちら、イギリスの雑誌「NME」(ニューミュージカルエクスプレス)が主催した、「ニューミュージカルエクスプレス・ポール・ウイナーズ・コンサート」
実は当「伝ロク」では「アニマルズ」の映像もここから引っ張らせていただいたのですが、当時の映像としては本当に珍しい、ダイナミズムの溢れる演奏を見ることが出来ます。
64年のサードシングル、全英11位の「ハブル・バブル(トイル・アンド・トラブル) 」を含むライブ!
どーでしょう!この躍動感! 
ポール・ジョーンズの熱いパフォーマンス!マンのキーボードもブリブリ決まっとります!!
ビブラフォンやフルートなどマルチに楽器をこなすメンバーを擁し、ストーンズやフー、キンクスとほぼ同期、堂々たる実績の彼らですが、今ひとつ認知されないのが残念ですね…。
その原因とも言えるのが、メンバーの出入りの多さと音楽性の変遷ではないでしょうか。
活動期間6年間でのメンバーが述べ11人(笑)。
その中には後にあの「クリーム」を結成するジャック・ブルースの名前もあります。
66年にボーカルがポール・ジョーンズからマイク・ダボこの2人の顔がそっくりなことが話題になったりしましたね)にスイッチしてからは、よりポップになった反面、本来のジャズ志向が頭をもたげたか、マンとハグ(こう書くとなんか可笑しい…)を中心に別バンドを結成。
結局これが「マンフレッド・マン・チャプター・スリー」というジャズロックバンドになり、さらには70年代、プログレ、アートロックとも言うべき「マンフレッド・マンズ・アース・バンド」として変幻をとげていくのであります(現存。)。
ここまで来るとまったく別のバンドなのですが、さらにややこしいのが、91年に当人のマンフレッド・マンを除いて結成された「ザ・マンフレッズ」というバンド(こちらも現存。)。
こっちは60年代の音楽性とヒット・ナンバーを中心とする再結成バンドで、例のそっくりな2人のボーカリスト、ポール・ジョーンズとマイク・ダボが参加、さらに当時ドラムのマイク・ハグはキーボード担当、というのですから、実にわかりずらい(笑)。
過去の栄光か、革新か。深いですね(爆)。
それでは出だしがちょっと長いですが(爆)、当時の様子のよく分かる映像、お楽しみ下さい!




「Sticks And Stones ~ Hubble Bubble 」(1964)


↓廃盤なのですがっ!もし手にはいるなら!!こちらがおすすめ。98年にデジタル・リマスターで発掘リリースされたこのライブ。演奏力が高い彼らならではの高品位なライブ。動画曲はありませんが、貴重なジャック・ブルース時代のライブも聞ける!!


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2009年8月23日 (日)

Silverhead

Q : シルバーヘッドのマイケル・デ・パレスは侯爵だって本当ですか?
A : お答えします。本当です。(爆)

侯爵なのが音楽性に影響があるとは思えませんが(笑)、当時のグラムロックのボーカルのプロフィールとしてはなかなかにセンセーショナルだったと言えます。
72年にアルバム「恐るべきシルバーヘッド」でデビューのイギリスのバンド、「シルバーヘッド」
70年代初頭のブームに乗っかってグラムロックのカテゴリーに分類される事が多かったようですね。確かにブギー基調の曲調やブラスセクション、ボーカルのデ・パレスを初めとしたメンバーの艶やかなファッションセンスなどは明らかに「ぽい」 感じと言えます。
デビュー時演奏テクニックこそ今ひとつとの評価があるものの、スローもこなす楽曲センスやストレートなハード・ロックンロール。デ・パレスのR&Bテイスト溢れる抜群な歌唱は、ディープバープルのパープル・レコードからリリースされるだけのことがあったと言えますね!
73年のセカンドアルバム「凶暴の美学」発表時にはギタリストが ロビー・ブラントに交代。なかなかのスライドソロとともにクオリティーも上がり、ハードロックアルバムの名盤としても十分評価出来るものでした。
イギリスではナザレスのサポートとして、またアメリカ、日本とツアーに出るも、74年、ニューアルバム「ブルティフル」製作中の7月に空中分解となってしまうのであります。
グラムロックの衰退とともに、本国イギリスでも正当な評価を得ることのなかったシルバーヘッドですが、さすがは日本(笑)。ビジュアルで注目を集めたバンドの人気は根強く、2枚のライブアルバムがリリースされております。
さてそんな彼らですから動画の発見は難しいと思われたのですが、出てまいりました!!
「当て振り」ですが、ご勘弁!
当時の動くデ・パレスが見れるだけでも良し、でお願いいたします(笑)!
曲は73年のシングル曲、「ローリング・ウイズ・マイ・ベイビー」です。
いやー、雰囲気あると思いませんか?特にデ・パレスの「ぱっつんぱっつん」(笑)なシャツ姿、私は後世のデヴィッド・リー・ロスを連想してしまうのですが…いかがでしょう。
トレードマークの星マーク付きのシルク・ハットも効果的に登場してますね!
まあこのシルクハットがグラムロックの象徴、みたいな所もあるんですが。
さてその後ですが、マイケル・デ・パレスは77年に元イエスのキーボードだったトニー・ケイ、元ステッペン・ウルフのギタリストだったマイケル・モナークらと「ディテクティブ」を結成。
レッド・ツェッペリンのスワン・レコードからジミー・ペイジのプロデュースの元、アルバムを発表しますが、結果2枚で解散。
さらに元セックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズとのバンド結成もありましたが、しばらく音沙汰が無いと思っていたら、85年のライブ・エイドにあの「パワー・ステーション」にロバート・パーマーに代わってボーカルとして登場
私は当時結構「ハマリ」と思ったのですが、長続きせず。
またこの人、俳優として映画に出たりもしてました。
近年の姿も見ましたが、いい感じに歳とってましたね。短い白髪ながら、相変わらず妖艶な感じで12人編成のバンドを従えてソウルナンバーを熱唱しておりました。
そう、蛇足ながら、デ・パレスは「伝説のグルービー」ことパメラ嬢とかなり長く結婚していたのですよ。選ばれし男(爆)!
さてさてそれでは伝説の映像、お楽しみ下さい!!




「Rolling With My Baby」(1974)



↓ジャケットとしては「恐るべきシルバーヘッド」が有名ですが、ここはより完成度の上がったセカンドでいって見ましょう!

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2009年8月14日 (金)

Kim Carnes

だいぶ出尽くしてきた感のある「麗しの女性ロッカー」編ですが(爆)、どっこいまだまだございます(笑)。
81年、「ベティディビスの瞳」の大ヒットでお馴染みのキム・カーンズのご紹介であります。
「女版ロッド・スチュワート」などと呼ばれることからもわかる通り、ハスキーボイスが魅力的。
ブレイクこそ80年代ですが、キャリアは意外と古く、60年代後半。
「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」というフォーク・グループが最初なのですが、このグループ、お馴染みのフォークソング「グリーン・グリーン」なんかを集団でウワッと歌うグループでありまして (ずいぶんザックリした紹介ですが…) かつてケニー・ロジャースやバーズのジーン・クラークなんかもメンバーだった名門。
その後シンガーソングライターで旦那となるデイブ・エリングソンとのデュオ「キム&デイブ」結成、70年にはソロシンガーとしてもデビューを果たします。
映画「バニシング・ポイント」のテーマソング「レスト・オブ・ミー」や80年、同門のケニー・ロジャースとのデュエット「荒野に消えた愛」などのスマッシュ・ヒットはあるものの、実質的には前述の 「ベティディビスの瞳」が出世作と呼んでも良いでしょう。
実はこのキム・カーンズ、自分で曲の書ける人なのですが、 「ベティディビスの瞳」が60年代から70年代にかけて活躍した女性シンガーソング・ライター、ジャッキー・デシャノンのペンによるものだったために、あまりその印象が無いのは残念な話。
確かにいい曲ですし、有名曲なので、「伝ロック名曲館」でも良かったのですが、動画を見てもバラードというせいなのか、ただ歌っているだけで(爆)、どうもロックっぽさを感じられないのですなぁ。
確かにどちらかと言えばカントリー、フォーク畑で来た人ではありますが、それまでもポップなセンスやダイナミックでワイルドなテイストも十分持ち合わせていただけに、ヒット後の一発屋的イメージや、80年代バリバリキンキラ(笑)のエレクトリック・ポップな展開に若干の物足りなさを感じるのも事実。
ここは一発ロック・テイスト抜群な動画をお届けしてして再評価、と行きましょう!
ブレイク直前、80年のTV、ミッドナイト・スペシャルでの映像から、同年のアルバム「ロマンスダンス」に収録されていた、スージー・クアトロ、77年シングルのカバーナンバー、「恋はドッキリ」(ティアー・ミー・アパート)をお届けいたします!
ブラスセクションも入ったぶ厚いアレンジ、特に後でテナーとアルトのサックスを2本一度に咥えて吹いているオッサンは大道芸並みで、ついつい目がいってしまいますな!
赤いオーバーオールで可愛らしい印象ですが、1945年生まれのキム・カーンズ、この時すでに35歳!
という事は現在は…、まあいいでしょう(爆)。
ヒットを足がかりにUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」への参加や、男版(爆)ロッドとの共演、果ては松田聖子のカバー(笑)に至るまで活躍を続けた彼女ではありますが、91年以降、04年にはカントリーテイストに立ち帰ったセルフ・カバーアルバムをリリースした以外、現在は半ば引退状態に。
幸せな余生を送っておられる事でしょう(笑)。
そういえば彼女の次男は「ライ」君というそうで、ライ・クーダーから名づけられたようです。っていうか確かグレッグ・キーンの息子も「ライ」君でしたね(笑)。
しかしそういう意味でもライ・クーダーって凄い人なんですねぇ。
「ちなんだ名前ランキング」があったら相当上位に食い込みますねこりゃ。っていうかそんなランキングありませんが…(爆)。
話が脱線しましたが、若かりしキムの元気一杯のパフォーマンス、ご覧あれ!



「TEAR ME APART」(1980)


↓出世作「私の中のドラマ」はもちろんなのですが、ここは一発、動画曲収録!オーストラリアでリイシューされているブレイク前のダブルコンピ盤をチョイス!お徳ですよ。


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2009年7月28日 (火)

The Lovin' Spoonful

モミアゲアゲイン(意味不明)(爆)!
ラヴィン・スプーンフルの65年のデビュー・ヒット「魔法を信じるかい?」伝ロック名曲館でのご紹介です。
60年代初めにニューヨークを中心に活動していたフォーク・グループ「マグワンプス」。64年にグループを離れたキャス・エリオットとデニー・ドハーティーは後にあの「ママス&パパス」を結成するわけですが、残った2人、ボーカルのジョン・セバスチャンとギターのザル・ヤノフスキーを中心に結成されたのが、「ラヴィン・スプーンフル」なんであります。
デビュー曲の後も、翌66年には、やさしいメロディーの印象的な「うれしいあの娘」、古きアメリカを彷彿させる「デイ・ドリーム」、そしてビートの効いたフォークロックナンバー「サマー・イン・ザ・シティー」では全米1位を獲得、とヒットを連発していきます。
ビートルズやストーンズが登場、おりしもブリティッシュ・インベンション花盛りの時代ですが、彼らの場合バリバリロック、というよりもメロディーの良さやアレンジで名曲を生み出して行った、という印象がありますね!
秘密は彼らの豊富なバックボーンをもつ音楽性にあるともいえます。アメリカン・トラッドR&B、学生時代に研究していたというジャグ・バンドの要素など古き良きアメリカを彷彿させるサウンドは「グッド・タイム・ミュージック」とも呼ばれていたのであります。
またイギリスでも人気を博していたらしいですね!
今回取り上げた「魔法を信じるかい?」はもう誰しもが聞いた事があるはず!
ランディー・ヴァンウォーマーやショーン・キャシディー(!)、最近ではピーターパン2のテーマとしてのAly & AJ(アリーアンドエイジェイ)など、カバーも数多く存在。またCMで使われていた事もありましたか。とても40年以上前の曲とは思えない曲ですね!
で、動画なんですが、ボーカルのジョン・セバスチャンがかかえている楽器はオートハープと呼ばれる物。こんな感じで弾き語りしてる人を初めて見ましたよ(笑)!
このジョン・セバスチャンという人、元々はクラシック・ハーモニカ奏者らしいとのこと。他にも曲によってはギターやキーボードもこなすマルチな人なんであります。
それからイントロで印象的なカッティングを決めているギターのザル・ヤノフスキー
私はこの人の使っているギターにピーンと来ましたよ!
ちょっと変わった形のこのギター、ビザール・ギターオイニーンプンプしますね(なぜ業界語?)(爆)。
メーカーはアコースティック・ギターでお馴染みの「ギルド」。「サンダーバード」(通称シャーク)という63年から68年にかけて生産されたモデル。
なんか平行四辺形のような形で、素で見ると微妙なんですが、こうやってぶら下げるとなんともカッコいい!
でこのギターの特徴が「ビルト・イン・スタンド」という機構。ギターの裏に溝が彫ってあって、金属の板がくっついているのであります。
これを引き出すと…ほーら!写真立てのように自分で立った!
ギタースタンドいらずで王様もビックリ(笑)!ですよね。
なかなか楽しいアイディアですが、普及には至らなかったようであります(笑)。
ちなみに「デ・アルモンド」というメーカーが現在「ジェット・スター」というモデル名で再生産しているようですが、今風なアレンジになっちゃっていて、背中のつっかえ棒(笑)も付いてないようです。
さて順風満帆に見えたラヴィン・スプーンフルですが、67年にギターのヤノフスキーがメンバーのスティービー・ブーンを巻き込む(?)形でマリファナの不法所持で逮捕…。それが元で脱退。
さらにアルバム「エブリシング・プレイング」発表後、68年には中心人物のジョン・セバスチャンも脱退となり、バンドも解散してしまうのです。
ギターのヤノフスキーは音楽をやめてレストラン経営をしていたようですが、02年に故人に、ジョン・セバスチャンはソロとしての道を歩んでいくわけです。
91年にドラムのジョー・バトラ、ベースのスティービー・ブーン、後加入のギタリスト、ジェリー・イェスタが中心となって再結成していますが、さすがにオリジナルのリード・シンガーが不参加なのは厳しい気がしますね…。
それで、当初公開していたクオリティーの高い動画が削除れてしまいました…(爆)、エド・サリバン・ショーが一番見れるバージョンであることに間違いないのですが、あえて画質は落ちますが生演奏バージョンにて再度アップさせていただきます!それではどーぞ!




「Do You Believe in Magic」(1965)


↓やはりベスト盤のチョイスが妥当かと。色あせない名曲の数々…。


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2009年7月20日 (月)

The Pirates

母「あの、海賊の格好して、ジョニー、なんだっけねぇ?」
娘「ジョニー・デップ!パイレーツ・オブ・カリビアンでしょ!」
父「ジョニー・キッドだろう!」
母「そう!それ!」
娘「えーっ?ジョニー・デップじゃないの?」
父「お前、お父さんとお母さんの時代、海賊でジョニーと言ったら、ジョニー・キッド&ザ・パイレーツと相場が決まっていたものだぞ!」

失礼しました(爆)。
日本のあちこちでこんな会話がなされているとは思いませんが(笑)、「ザ・パイレーツ」のご紹介であります。
まずその前身である所の「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」についての説明が必要でしょう。今から50年ほど前、59年にデビューした「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」。
ビートルズ登場以前のイギリスのミュージックシーンにあって彼らの存在は異質でありました。
まずその出で立ち。シンガー、ジョニー・キッドの眼帯を初めとしたメンバーの海賊ルック! 元々はジョニーがギターの弦で目を怪我し、眼帯をしてステージに上がったらことのほかウケてしまったのが理由とか。
でそのサウンドはアメリカからのロカビリーやR&Bを基本に、当時としては実に今で言うロック・テイストに溢れた物だったのです。
59年デビュー・ヒットの「プリーズ・ドント・タッチ」、翌年のヒット「シェイキン・オール・オーバー」にいたっては数々のアーティストにカバーされるスタンダードナンバーとなっております。
特にザ・フーのカバーは有名で、思えば私がこの曲にふれたのもフーのバージョンが最初でした。
バック・バンドのパイレーツは何度かメンバーチェンジを行っているのですが、その中でも出色なのが、62年から65年にかけてのメンバー、ギターのミック・グリーン、ベースのジョニー・スペンス、ドラムのフランク・ファーレイ在籍時でしょう。
特にギターのミック・グリーンのバシッと一本筋の通ったギターのカッティングと演奏スタイル。後のパブ・ロック・ムーブメントの中心となる、ドクター・フィールグッドのギタリスト、ウィルコ・ジョンソンが師と仰いでいた、と言うのは有名な話。 バンド名(Dr.フィールグッド)も「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」の曲名からついてますし。
しかしその衣装などの奇抜な印象からか、はたまたビートルズのブレイクの陰に隠れてなのか、オリジナルアルバムはたった1枚に終わり、さらには66年、ライブの帰りの交通事故にてジョニー・キッドが他界。バンドもひっそりと忘れ去られたかのように思いました。
しかーし!!前述のドクター・フィールグッドやブリンズレー・シュウォーツ、ダックス・デラックスらの台頭によるパブ・ロックのムーブメントの中で「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」も再評価
ウィルコ・ジョンソンらの熱い呼びかけもあって、77年のフロント・ロウ・フェスティバルにミック・グリーン、ジョニー・スペンス、フランク・ファーレイらの黄金期のバックバンド「パイレーツ」の3人が集結。
ベースのジョニーが歌う形で演奏したところ、これが大評判!新生「パイレーツ」として復活を遂げたわけなのです!
本来、「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」の動画でいくべきと思ったのですが、無い(爆)!動画が無い!!
うーん、古いですからね…、という訳で、発見できるまで再結成パイレーツの映像をお届けしようと思います。
いやね、それでも十分、ていうか、とにかくロック・ファンを自負する方は絶対聞いておいた方がいいです!
いや、恥ずかしながら、私もキチンと聞いたのは初めてだったのですが(爆)、のけぞりました(笑)
何って、ジョニー・キッドのバックでやっていた頃から、この3人の演奏は折り紙付きでありまして、とにかくビートと音圧が凄い!
ジョニーとフランクのリズム隊の安定感もさることながら、なんと言ってもミック・グリーンのギター!やたら腕っ節(笑)が凄い
この人の出音の太さとノコギリのようなザクザクというギターカッティングは唯一無二のものですね。 ウィルコのカッティングの切れ味は相当なものですが、そのお手本ですから凄い訳ですよ!
まあ、レパートリーはジョニー・キッド時代のナンバーから昔ながらのロカビリーやロックンロールが中心なのですが、その熱く、太く、迫力のあるパフォーマンスはハード・ロックも真っ青!これぞまさに「漢(おとこ)のロック」と呼んでいいでしょう。
一気に当時のパブ・ロックシーンの親玉的存在に祭り上げられたのも頷けます。
動画はご存知79年のロックパラストのライブ映像から、77年復活アルバム「アウト・オブ・スカル」からミックのド迫力ギターが堪能できる「ユー・ドント・オウン・ミー」をお届けいたします!
いやーどうですか!どんだけ太い弦張ってんだ!って音ですよね(笑)。
フロントの2人のギターに貼られたスカルのステッカーと海賊ルックが決まっておりますな。
さてアルバム3枚発表後新作こそ無いものの、なんと彼らは現在も活動中!
ここ日本ではミッシェルガンエレファントのアベフトシ氏の猛烈なリスペクトもあって、共演、来日も行ってますし、かのポールマッカートニーも99年のアルバム「ラン・デビル・ラン」でギターにミックを起用!
見た目こそちょっとメタボな気のいいオッちゃんになってますが(爆)、ポールのTVスタジオでのライブでは、共にギターを弾いたピンクフロイドのデビット・ギルモアを完全に喰ってましたからねぇ(爆)。
それでは熱く危険(?)な復活パイレーツのライブ、お楽しみ下さい!
だっちゅーの!(あ、余計だった…)(爆)!

「You Don't Own Me」(1979)

↓まずは「ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ」の全曲集を!それから再登場パイレーツについてはライブ音源も入ったベスト盤をチョイスしました。男なら(女でも)聴け(爆)!!

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