2016年8月16日 (火)

Aldo Nova

前回のトレヴアー・ラビンと微妙に被りますが…。
80年代当時、私たちロック・ファンに大きな話題となった人。
ソロ・アーティストであり。ギタリストのアルド・ノヴァのご紹介です!
カナダ出身のアルドがセルフ・プロデュースのアルバム「ナイト・ファンタジー」で登場したのは’82年。
全米8位のプラチナアルバムになるなど大ヒット。ドラム以外は全て自分でやってしまう、というマルチぶりもトレヴァーと被りますね。
当時のトレンドともいうべき産業ロックのテイストも感じるハードでメロディアスでポップな楽曲はとても好きだったんですが翌年のセカンドではあまりパッとせず、85年の3枚目はカナダでこそヒットするもアメリカではランクインせず…。
ここ日本では一発屋などと言われる始末…無念です(笑)。
その後アルドはシンディー・ローパーのギタリストになったり、カナダつながりでセリーヌ・ディオンへの楽曲提供などしていたのですが、ここで転機が訪れます。
かねてから知り合いだったボン・ジョビのジョン・ボン・ジョビのサントラソロ作「ブレイズ・オブ・グローリー」に参加。
それが縁で’91年にアルバム「ブラッド・アンド・ブリックス」をジョンと共同プロデユースの形でリリースするのです。
このアルバム、楽曲も演奏も素晴らしかったのですが、髪を伸ばしてグラム・メタルよろしくイメチェンするも時すでに遅し…。再ブレイクには至りませんでしたね…。
その後はまたセリーヌへの楽曲提供、プロデュース、フェイス・ヒルへの楽曲提供など主に裏舞台へと行ってしますのです。
もちろん現在でも時々ソロのライブは行っているようですが、その才能をこのまま埋もれさすのも惜しいと思うのは私だけでしょうか。
さて動画です。実はアルドの動画はかなり前より探しておりました。
特に80年代ヒット全盛の頃のライブ映像はほとんど出ておらず、近年のものばかり…と諦めかけていたところになんと!91年のアルバムリリース後のライブ映像を発見!
脂ののったこの時期でも良いでしょう、との判断で今回のご紹介に至ったわけです。
このライブはジョン・ボンジョビのソロとアルド、ポール・ロジャースらが一堂に会したものでライブ後半ではジョンやポール・ロジャースも飛び入りしての演奏もある熱いもの。
そして楽曲はもちろん往年のヒット曲、「ファンタジー」であります。
出だしで観客に歌わせるあたりの演出にはグッときますね!
この時期のアルドのバンドですがギタリストとしてフィルXが参加しているのです。
はいピンときたあなた、エライ(笑)。
フィルX & ドリルズ のフィルXはやはりカナダつながり。
リック・エメットの後にトライアンフに在籍していたり、リッチー・サンボラの代わりにボン・ジョビのツアーに参加していたのも記憶に新しいと思います。
この人、最初はいわゆるトリッキー&超技巧派のギタリストで、このライブでもそのテクニックを遺憾なく発揮しております。
しかし元々しっかりとしたバックボーンを持っており、YouTubeなどで漁っておりますと稀代のロックの名曲をバリバリとカバーして弾きこなす映像が山のように出てくるんです。
この正面に向かって突き出たワーミーバー往復ビンタみたいに叩いて使うんですよね(笑)…
おっとすっかり話が逸れてしましました(爆)。
この映像でもアルドとの掛け合いが見事です。もちろんアルドも相当のテクニックを持ったギタリストですから。
ではオーディエンス撮りでの画質ご了承の上お楽しみくださいませ!



「Fantasy」 (1982)




↓やはり聞いてくださいデビューアルバム。年代は感じさせるも楽曲の良さが光ります。

 

 

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2011年1月 2日 (日)

Frank Zappa

ここでまた強力な伝説的、ギタリスト/アーティストを取り上げましょう!フランク・ザッパであります。
昔わが家では音楽好きな父親の影響もあってレコード目録、という電話帳のように厚い本を毎年買っておりました。
そこには古今東西のレコードがアーティスト別に掲載されており、アルバムの曲名とともにレコード番号も載っていて、大好きで暇さえあると眺めていたものです。
で、その中に子供心に大変気になる楽曲タイトル群がありました。その邦題は「いたち野郎」だの、「あんたの身体で一番醜い部分はどこ?」だの、「アレを洗ったこと,ないのかよ?」だの、おおよそ曲名とは思えない大変に「変てこ」なものでした。
そしてそのアーティストこそが、フランク・ザッであったわけです。
もう実際曲は聞いた事がなくても名前だけは知っているという方も多いでしょう、わたしが敬愛してやまぬトッド・ラングレンともよく並べて称されるのですが、こっちは筋金入ってます(爆)。
ロック界の偉人、いや、奇人、うーん変人、まあどれも当たっておるわけですが(爆)、とにかく百科事典が書けるような多才かつもの凄いアーティストなので、専門的にお知りになりたい方はどうぞ、ご自分で(爆)。
とりあえず当「伝ロック」ではザックリとご紹介いたしますよ。
'40年生まれのザッパはアメリカのボルティモア出身。66年にバンド、ザ・マザーズ・オブ・インベンションでデビュー。
デビューアルバム「フリーク・アウト」はロックからアバンギャルドな作品が収められた名盤とされる。
ここからソロ作を含めてオリジナル・マザーズで70年まで出たアルバムが10枚ぐらい。
ドゥーワップから現代音楽、ジャズロックの名盤「ホット・ラッツ」は69年。
70年代初頭は元タートルズのフロー&エディ(マーク・ヴォルマン&ハワード・ケイラン)がボーカルとして加入した通称「タートル・マザーズ」と呼ばれた活動期。
この時期は彼の受難期でもありまして、71年のモントルーのライブで観客がフレア・ガンを発砲してライブ中に火災が発生。このエピソードがディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」になったのは有名な話。
さらに聴衆にステージから突き落とされて全身複雑骨折という大怪我を負う…。
この時期はブラスが印象的なジャズロックとブラック・ミュージックに傾倒し、73年に名盤「オーバーナイト・センセーション」。70年代後半からは厳しいオーディションを通して「ザッパ・スクール」とも呼ばれた凄腕ミュージシャンを従えだします。
キーボード、ジョージ・デュークエディ・ジョブソン、ドラマー、テリー・ボジオチェスター・トンプソン等など枚挙にいとまがありません。
79年ニューウェイブ、パンクの影響も見られるアルバム、「シーク・ヤブーティ」はギターボーカルにかのエイドリアン・ブリュー(のちにクリムゾンへ参加)を起用してのこれまた名盤。
ふぅ…(爆)
80年代はこれまた奇才ギタリスト、スティーブ・ヴァイが採譜係からメンバーに昇格。「ザ・ギタリスト・パ~あるいはザッパのギター・アルバム」などのギターを中心としたアルバムや、フル・オーケストラとの共演、シンセサイザー・シンクラヴィアを使った作品など発表。
自身の前立腺ガンが進行する中、自身の作品を総括しつつ、93年に52歳という若さで没…。
なんとざっくりした紹介、失礼いたしました(笑)。
ロックをベースにすべての音楽をミクスチャーして変拍子や即興性を含め高度な作品として昇華させた才能。
辛らつでユーモア、スラング、社会風刺に満ちた歌詞。
生前時発表だけでも60枚を超える膨大な作品とライブ音源は遺族により未だにリリースされ続けております。
また息子のドゥイージル・ザッパもギタリストとして有名。現在でも「ザッパ・プレイズ・ザッパ」として偉大な父の楽曲を再現するツアーなど行っております。
95年には「ロックの殿堂」入りもはたしましたね。
さて!動画。
なんといってもザッパは基本ギタリストな訳でありまして、当「伝ロック」的にも、ロック・ギタリスト的な部分をご紹介するのが良いでしょう!ということで76年アルバム「虚飾の魅惑」から ギター・インストの名曲「ブラック・ナプキンズ」で行って見ましょう。
キャリアを通して様々なギターを使用していたザッパですが、私的にもこのギブソンSGを弾く姿が一番印象的ですね!
どうですか、このエモーショナルでテクニカルちょっと変態をふりかけた(笑)演奏。やはり天才!
77年、エイドリアン・ブリューが参加していた時のテイクで、ビキニパンいち(笑)のテリー・ボジオのドラムがぶっ飛んでます。
なお前述の変な邦題ですが、当然日本側のスタッフが意訳して付けたもの。確かにそんな意味ではあるのですが…。
さらに代表的な所を列挙しておきますと、「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパ・パ!」「舟だがや」「鼻クソマン」「イリノイの浣腸強盗」「いまは納豆はいらない」「ア、いかん、風呂むせて脳わやや」…ひどすぎますな(笑)。
余談ですが、私が感動したのはあのレッドツェッペリンの名曲、「天国への階段」のカバー。
基本完コピなのですが、全編レゲエのリズム。ブレイクではチョコチョコ変な擬音が入り、有名なギターソロは完璧なブラスバンドで再現されているという…(笑)。
この愛に溢れた真剣なおちょくり方(爆)、機会があったらぜひご覧になることをおすすめいたしますよ。
ではギタリスト、ザッパの勇姿、ご覧ください!   



「Black Napkins」(1977)

↓なんだかんだで100枚を超えるリリースですし、多岐にわたる音楽性…。伝ロック的にはこちらでいきますか、79年の聞きやすい一作「シーク・ヤブーティ」!正しくは「シェイク・ユア・ブーティ」と読むんだそうです。やっぱり(笑)。


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2010年3月 9日 (火)

Dick Dale

鬼や!あんたは鬼や!鬼のようなギターってどんなギター?
はいっ、キング・オブ・ザ・サーフギター、ディック・デイルのご紹介であります。
その名前を知らない人でも、彼の代表曲、「ミザルー」を耳にすれば、「あー、この人ね」てな事になるはず。
ヒット映画「パルプ・フィクション」のテーマソングは一度聴いたら忘れない強力な楽曲と言えます。
レバノン出身とされるディックは1937年生まれ。学生時代にギターを手にし、主にカントリー系での活動だったようですが、エルビス・プレスリーを始めとするロックン・ロールが一世を風靡すると共にディックもその影響をうけたようです。
ガレージで初のレコーディングを行ったとされるのが55~56年頃。
59年のデビューシングルはレーベルの関係で訴訟問題になってしまったようですが、彼の父所有のレーベル(デル・トーン)に落ち着き、巷のサーフィン・ブームに乗っかって61年に最初のヒット曲(レッツ・ゴー・トリッピン)が出ます。
そしてお馴染みの「ミザルー」のヒットは62年。
ここでまず彼の特徴的なギター・スタイルに触れておきましょう。
ギター・インストを中心としたスピード感溢れる楽曲
強力なトレモロ・ピッキングが奏でるメロディー
そして彼がフェンダー社と共同開発したスプリング・リバーブ(いわゆるエコーね)のぶっ飛んで行くようなホットなサウンド
同時期に登場していた「ベンチャーズ」「デュアン・エディー」などギターインスト・ロックの祖となったアーティストの中で、サーフィンやホット・ロッドと呼ばれるギター・スタイルを確立したのはまさにこの人と言っても良いでしょう。
デビューアルバム「サーファーズ・チョイス」がヒットを記録し、その評判を聞きつけたキャピトル・レコードが契約をとりつけ、63年レオン・ラッセルらの強力なミュージシャンを招いて録音されたのが次の「キング・オブ・ザ・サーフギター」というアルバム。
しかしなぜかその後パッタリと売れなくなり、不遇の時代となります。
70年代、彼の名前を聞く事はほとんど無くなるのですが、聞けばその時期、直腸ガンを患って闘病生活を送っていたとか。
80年代後半にがんを克服し、活動を再開した彼を表舞台に連れ戻したのは、ご存知「テキサス・ハリケーン」こと、故スティーヴィー・レイボーン!映画「バック・トゥ・ザ・ビーチ」のために共演した「パイプ・ライン」での二人のギターバトルはまさに強烈でありました!
なにせスティーヴィーを前に圧倒的存在感を見せ付ける演奏だったのですから!
さらに前述のとおり、クエンティン・タランティーノ監督が、94年、映画「パルプ・フィクション」の冒頭で「ミザルー」を使用したことから、一気に再評価の気運が高まり、完全復活をとげるわけです。
さて、動画!これ、とても有名なバージョンですが、やはりこの曲、63年当時物の演奏「ミザルー」しかないでしょう!
ギリシャのダンス曲をアレンジした
とされる、一種独特でエキゾチックなメロディー
映画とのマッチングも含め、この曲を選んだタランティーノの選曲眼も見事といえましょう。
私も実際に彼が当時演奏している所を見たのは初めてだったのですが、どうでしょう!このサウンドに似つかわしくないスマートさ(爆)!
後でステップを踏むベルトーンズのユルイ雰囲気(笑)もなんとも言えません。
というのも、現在のディック・デイルは実に筋肉隆々な豪腕オヤジ的風貌
とても大病を患ったととは思えない腕っ節なので、ついそのギャップに目を見張ってしまうのでありますな。
そう、それからディックの大きな特徴として、左利きである、というのが上げられます。
動画でご覧の通り、左用のストラトキャスターなのですが、弦は右用、つまり下に太い弦が来る張り方。同様にして演奏するギタリストの名前を挙げますと、ブルース3大キングのアルバート・キングオーティス・ラッシュ、日本ですと松崎しげる 甲斐よしひろ なんかがそうですね。
さらに驚愕の事実。ディック・デイルの1弦の太さ、016だそうですよ!
それって普通に3弦の太さですよ!
どおりで鬼のような音が出るわけだ…。
そういえば同時代のギターインストの祖にリンク・レイという人がいますが、こちらは「悪魔」と呼ばれてましたね。まあ鬼だ悪魔だ、と渡る世間の皆様(笑)には落ち着かない時代だったのでは。
さて、御歳73才!現役バリバリ、ライブではスモーク・オン・ザ・ウオーターまでやっちゃうらしい(笑)ディック・デイルの若き日の貴重な映像をどうぞ!



「Misirlou」(1963)


↓今は良いベスト盤がでてますね!

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2009年2月 1日 (日)

Beck,Bogert&Appice (Revised Edition)

加筆訂正再登場(爆)!
実はこのBBA、当ブログ、「伝説のロックスター大集合!」の一番最初の記事として2年ちょっと前に 載せたのですが、当時はかなり適当にスタートした(笑)ため、各アーティストに対するコメントも全く内容の無いもの(笑 )も多々ありました
ここに改めてご紹介いたします。
ベック・ボガート&アピス、通称BBAは世界3大ギタリストと言われたジェフ・ベックが72年に結成したロック・トリオであり ます。
ヤードバーズ脱退後、ロッド・スチュワート、ロン・ウッド(当時はベーシスト!)らと立ち上げたジェフ・ベック・ グループ。
69年に解散後、ヴァニラファッジティム・ボガートとカーマイン・アピスに着目。この稀代まれなハード・ロッ クなリズム隊とぜひ組みたい!と考えたジェフがロッドをボーカルとして残したまま、グループ結成、スーパー・ハードロッ クバンドが誕生する予定だったのですが、ジェフが趣味の自動車で瀕死の交通事故に。
2年近いブランクの間に、結局ティムと カーマインはカクタスに参加してしまいます。
当のジェフ・ベックもコージー・パウエルらと第2期ジェフ・ベック・グルー プを結成。
16ビートが冴えるブラック・ジャズ・コンテンポラリーにも通じるサウンドはその後の名盤「ギター殺人者の凱旋 」への布石ともなって行く…となるはずだったのですが、なぜかここが気まぐれジェフの真骨頂(笑)。
第2期ジェフ・ベック・グルー プ解散後の72年、突如「過去の清算?」とばかりにティム・ボガートとカーマイン・アピスの2人を呼び戻してのハード・ロ ックへ逆戻りともいうべきBBAの誕生とあいなったわけであります。
当初他のメンバーも加入していたようですが、結局3人が 残った、ということでスーパー・ロック・トリオとも言うべき布陣になったわけです。
ギタートリオのロックバンドと言えば 、クラプトンのクリームやジミ・ヘンドリックスのエクスペリアンスが引き合いに出されたりしますが、いかんせんこの時期 結成のBBAはサウンドから言っても、やはり遅すぎた、という感は否めなかったようです。
この3人も結成してみたらもう満足 してしまったようで、スタジオ盤一枚と日本公演のライブ盤のみでとっとと(笑)解散してしまうのであります。
後に言われ たジェフとティムの確執、と言うのも、ステージ上のお互いの音の大きい小さいが原因(笑)だったようで、まあこのアマチ ュアバンドみたいな理由(爆)も、音も態度もメガトン級の彼らならでは、とも言えます。
さてこのBBA、先ほどからハードロ ックとは言ってますが、実際はもうちょっと間口の広いサウンドをしておりました。
BBAのティム・ボガートとカーマイン・ア ピスはボーカルにも長けており、そのハーモニーを生かしてのソウルナンバーなども独自の解釈で演奏されていました。個人 的にはその辺も好きだったりするのですが、いかんせんその部分が中途半端な印象になったのかもしれません。
ジェフも1曲 のみ貴重な歌声を披露しておりますが、世間一般的にも言われているように、お世辞にも上手いとは言えず(爆)、その部分 でもカーマインとティムの存在は大きいですね。
しかしこの2人、あれだけの演奏をしながら本当によく歌いますなぁ…。
そ してなんと言ってもそのテクニック。
シンバルをバシャバシャ叩き、ズドンズドン叩くカーマイン。
プレシジョン・ベースを ブリブリ歪ませながら大音量で弾きまくるティム
そして表情豊かに、且つ縦横無尽にかけるジェフのギター。
特にライブで の凄まじさは一聴の価値あり、です。
さて動画ですが、ライブでも1曲目に収められていた「迷信」。
この曲はスティーヴィ ー・ワンダーがジェフのために書き下ろしたと言われるナンバーです。(ただ結局自分で歌ってヒットさせてしまいましたが (笑)。)
音も画質も最悪ですが、よもやBBAの動く姿が見れるとは!いい時代になったものです。
そしてこの動画の発見こそ が、私がこの「伝説のロックスター大集合!」を立ち上げようと思ったきっかけなのであります。
BBA解散後ジェフはご承知の 通り、ソロインスト路線へと向かいます。ティムはいくつかのバンドやソロを経て、またカーマインもロッドのバックバンド などを経て、83年にはヴァニラファッジの再結成も行っているようです。
それではジェフが一番ハードロックだった時代の貴重な映像、改めてご覧ください!

筆者注)
(この記事は06年11月29日の記事に加筆修正を加えたものです。)




「Superstition」(1973)


↓ライブ!ライブ!BBAといえばライブです!唯一の公式リリース盤。

 

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2008年3月21日 (金)

Eric Clapton

エリック・クラプトンの映像は、この伝ロックでも何度か取り上げてまいりました。
クリーム、ブラインド・フェイス、デレク&ザ・ドミノス等。
今回は彼の70年代のソロ映像をご紹介したいと思います。
いまやギタリストとしてのみならず、押しも押されぬビッグ・アーティストとなったクラプトン。
ヤードバーズからブルース・ブレイカーズ、クリームへと続いた60年代に続き、70年代のクラプトンと言えば、親友であったビートルズのジョージの妻、パティ・ボイドとの激しい愛。ドラッグに溺れ、廃人寸前から友人のミュージシャンに支えられての復帰南部ロックやレゲエへの傾倒レイドバックサウンドヒットアルコール依存症
辺りが象徴的な所でしょうか。
以前も話題にしたことがありますが、私の歳の離れた従兄弟がクラプトンのマニアでありまして、私自身がクラプトンを聞き出したのもこの頃でした。
壁にはギブソンのエクスプローラーを抱えたバカでかいパネルが貼ってあり(ミュージックマン・アンプの宣伝用、ギターのテールがカットされていた「アレ」ですな。)、レコード棚から次々と引っ張り出しては聴きあさったものです。
今思えばかなりの貴重盤もあったと思うのですが、特に印象的だったのは、ドラッグ中毒からの復帰コンサートを収めた73年の「レインボウ・コンサート」でしょうか。
演奏も本調子ではなく、ボロボロなのですが、そこがまたグッとくるんですね(爆)。
その後健康的になったかのような雰囲気だったのですが、南部ロックの影響やボブ・マーリーのカバーで大ヒットとなった「アイ・ショット・ザ・シェリフ」などがで出した辺りから、歌物中心でギターソロをあまり弾かなくなってしまった時期もあったり、74年の来日時にも普段からかなり酔っていた、という話もある様子。
まあ、なかなか簡単にはまとめられない時期ではあります。
で、動画はぜひ「レインボーコンサート」あたりのものを…と思いましたが、さすがに見つからず(笑)。いろいろ物色しておりましたら、今回の「ローリング・ホテル」の映像に出くわしました。
78年のヨーロッパツアーを収めたドキュメンタリー映像とされる、「ローリング・ホテル」は数回上映されてお蔵入りになったとされているらしく、私もほとんど見たことが無かったもの(ここ最近は入手可能なようです。)。ちょっと物珍しさでチョイスして見ました。
ロード・ムービーということで、ライブシーンがふんだんにあるらしいのですが、音、演奏内容には若干荒さがあるものの、これまた当時のありのままの姿が見て取れる貴重な映像だと思います。
曲は77年の名作アルバム「スローハンド」より、定番のバラード「ワンダフル・トゥナイト」です!最近ではグーンとテンポを落として演奏されるこのナンバーこの頃はまだ比較的レコードに近い感じで演奏されていた、というのがわかりますね(でもちょっとスローかな(爆)…)。途中に挿入されている、パティの映像が泣かせます(笑)。
その他にも、このビデオにはなかなか貴重なオフショットがふんだんに収録されているようなので、ぜひフルで見てみたい!と思っているしだいです!
では70年代のクラプトン、とくとご覧あれ!



「Wonderful tonight」(1978)


↓ソロのクラプトンで私のお勧めはあえてこちら!70年のファーストソロアルバムであります!その後のクラプトンにとって非常に重要なナンバーが多数収められていると思うのですがいかがでしょう!まだ尖がった感じのギターサウンドもなかなかだと思います。デラックス・エディションでお届け!



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2008年3月 2日 (日)

Nils Lofgren

1人舞台ーっ(笑)!伝説のギタリストとしてご紹介いたしましょう、ニルス・ロフグレンであります。
現在、世間一般的に言えば、ニルスはブルース・スプリングスティーンをバックアップする、E・ストリートバンドのリード・ギタリストとしてピンと来る人が多いのではないでしょうか。
彼のキャリアは古く、初のメジャーなキャリアはニール・ヤングの名盤、「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」への参加
その後71年からは、自身の弟と共にバンド「グリン」にて活動。
ニール・ヤングのアルバム参加も続けながら、グリン解散後の70年代はソロとして印象的なアルバムを発表します。
特にアル・クーパーがプロデュースした76年のアルバム、「クライ・タフ」は結構ヒットしています。
で、まず凄いのがそのギター・テクニック。
親指に付けたサム・ピックで弾くことにより、フリーになった人差し指を効果的に使ってハーモニクスを織り交ぜるなど(ヴァン・ヘイレンなんかもやってますが…)音色が実に多彩で、もう一聴して彼とわかるものであります。
さらにボーカルや楽曲のセンスも素晴らしいもの。
また極めつけはそのパフォーマンス。
まあ、動画を見ていただければわかると思いますが(爆)、実にエネルギッシュでエンターテイメント性に溢れたステージングを展開するのであります。
イギリスのTVに出演した時の映像では、1人でギターソロとキーボードソロを弾き分けたあげく同時にソロをとったり(!)、ともう目が点になる勢い(笑)。
彼のその存在感からすれば、今頃ギター・ヒーローになっていても決しておかしくないのですが…。残念ながら日本ではいまひとつですなぁ…。
彼のソロパフォーマンスをまだ見たことが無い、という方、ぜひこの動画を見てください!
私が選んだのは79年、ドイツでのロック・パラスト・ライブの映像から、グリン時代の72年アルバム、「1+1」より、アンコールナンバーとして演奏された、「ム ーンティアーズ」。
この時期のトレードマークでもある、ギターヘッドに付けた「吹流し?」を翻しながら、強力なパフォーマンスを展開しております。
なんといっても見所はもう1人のギタリストと右手と左手交換?して演奏するくだり。
さらにラストはトランポリンを使っての宙返り(!)と、もう中国雑技団ですかあんたは(笑)!って感じであります。
この後、ブルース・スプリングスティーンのE・ストリートバンドへの参加となりますが、90年代にソロアルバムも続けて出しておりますし、ニール・ヤングとの共演も行っているようですね。
ただニール・ヤングとの演奏ではピアニストとしての参加が多いようです…。いやはや、多彩なのであります。
スプリングスティーンのバックでも、その存在感のあるギターは健在。
それではお楽しみ下さい!



「Moontears」(1979)


 

↓動画曲は未収録ですが(爆)、おすすめのベスト盤はこちら!おいしい所はすべて網羅されてますよ!

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2008年2月 3日 (日)

Peter Green's Fleetwood Mac

「ラモス!とか言ってるのはどこのどいつだ~い? あたしだよっ!」(爆)
てことで、失礼しました、ピーターグリーンズ・フリートウッドマックであります。
いわゆるスティービー・ニックスをボーカルとしてブレイクした「フリートウッドマック」は以前伝ロックでもご紹介済みですが、今回は伝説のギタリスト、ピーター・グリーンが在籍していたころの、初期のフリートウッドマックであります。
ミック・フリートウッド(ドラム)、ジョン・マクヴィー(ベース)の二人の名前から名づけられたバンドですが、中心となったのは、前述のギタリスト、ピーター・グリーンであります。この3人はイギリスホワイトブルース界の学校とも言われたジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズの出身
ピーター・グリーンはエリック・クラプトンの後をうけて加入し、さらにその後にはミック・テイラーが加入したという凄いバンドだったのであります。
そんな訳でフリートウッド・マックは68年当初ブルースバンドとしてスタート。当時のイギリスでのブルース・ブームもあって、好調なスタートを切った彼らですが、麻薬常用の影響から、グリーン自身は精神に異常をきたし70年に脱退することとなります。
「自分はキリストの再来だ!」と言ったとか言わないだとかで(爆)まあ確かに見た目似て無くも無い感じもありますけど…(笑)。
その後フリートウッドマックはメンバーチェンジを繰り返しながら、その歴史を刻んでいくわけですね。
さあ、そのピーター・グリーン、彼が伝説のギタリストと呼ばれているのには理由があります。日本での知名度こそあまり高くありませんが、69年アルバム「英吉利の薔薇 」 に収められていた「ブラック・マジック・ウーマン」はサンタナのヒットとしての知名度の方が高いぐらいですし、最近ではゲイリー・ムーアが、自身のヒーローでもあるグリーンの影響か、ハードロック路線からブルース路線へとその音楽性を変えるなど、数多くの有名ギタリストにリスペクトされているのであります。
一時は廃人になった、とも言われていたグリーンですが、95年に奇跡的に復帰!現在も地道な活動を行っています。
さて動画ですが、68年のフランスのTV出演の時の映像から「ホーム・ワーク」をお届けいたしましょう。
年代から言って、あまりいい動画が無いのですが、この映像はカラーであるということ、そしてなにより生き生きとしたグリーンのボーカルとギターが印象的だったのでチョイスいたしました。
なおこの時期はもう1人、ジェレミー・スペンサーというギタリストが参加しており、彼のギターもまた、素晴らしかったりするのですな。
それではホワイト・ブルースの新鋭として活動していた頃の貴重な映像をどーぞ!



「Homework 」(1968)


↓なんというインパクトのあるジャケット(笑)!でも初期マックの名盤です。



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2008年1月 6日 (日)

The Jeff Healey Band

ジェフヒーリーをご存じでしょうか!盲目のブルースギタリスト、ジェフヒーリーはカナダ出身。
3才の時に癌で視力を失ったそうです。88年にデビュー、世間をあっと言わせました
身体的にハンディキャップを抱えたアーティストが素晴らしい才能を発揮するという事は良くあることですが、彼の凄い所はその演奏スタイル
まぁ、動画を見ていただければ一目瞭然なのですが、通常ギターというものは、膝の上に立てて保持し、ネックという弦を張った長い所を下から抱えるようにして押さえるのが本来のスタイル(改めてこうやって書くと間抜けな感じですが…(笑))。
そこを彼の場合、ギターを膝の上に寝かせ、ネックの真上から5本の指で押さえ付けて弾くというまさしくアメイジング!な奏法。
誰からも教わらず、音だけ聞いてマスターしたがゆえ、この様な弾き方になったのだと思うのですが、初めて見た時は腰を抜かしましたよ(笑)。
音だけ聞いていれば本当に普通のブルースギターに聞こえるんですが、っていうかもう普通に聞いていても実にエモーショナルかつ素晴らしいギター。その弾き方とあいまって、まさしく「天才」と呼べるアーティストの一人でしょう。
厳密に見てみると、多少普通の運指では出ないニュアンスが出ているのは確かなようで、通常薬指や小指で行われるフィンガリングを親指で、チョーキング(ベンド)を3本指でやったりするのが関係あるんでしょうか。なんにしても凄い。
楽曲や選曲の良さも見逃せません。ジミヘンからビートルズの「ホワイル・マイギター~」や「ヤー・ブルース」などのいかにもって感じのチョイス、オリジナルヒットもあり、なんです。
動画は89年、ロンドンでの若き日のライブから、「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」をジミヘンタッチバージョンにてご紹介します。長いテイクですが、ぜひ最後までご覧下さい!
通常椅子に座って弾いているジェフですが、盛り上がって来ると立ち上がってパフォーマンスするのは有名
さらにこのビデオではギターを逆に構えてジミヘンを気取ったり(笑)、後ろに構えたり、最後は歯で弾いたりと、まるでジミの演奏を目撃した事があるようなパフォーマンスを見せて盛り上げています!
最近は歳のせいか、だいぶテップリ体型(爆)になってしまったようですが、トロントの自身がオーナーのブルース・バー「ヒーリーズ」に出演したりして活動しているようです。
そう、彼は最近トランペッターとしてジャズ・バンド(!)も率いているようでこれがまた様になってるんですよ。もの凄い才能ですね。
そんな彼が癌で闘病している、という話を耳にしたのはいつだったでしょうか。
今年(08年)3月に41才の若さで帰らぬ人となりました…。
ご冥福をお祈りいたします。
それでは在りし日の驚愕のライブ、お楽しみ下さい!
(2008.11.4追記)



「All Along The WatchTower」(1989)


↓衝撃のデビュー盤。「エンジェル・アイズ」は泣けます…。ぜひライブ盤も聞いてみて!



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2007年12月25日 (火)

Stevie Ray Vaughan

テキサース!と言っても勝野洋ぢゃあないよ(爆)。
テキサスから来たブルース・ハリケーン、スティーヴィー・レイ・ボーン&ダブルトラブルであります。
伝ロック的には実に新しい部類になってしまうのですが、83年にアルバム「ブルースの洪水」でデビュー。
実際は70年代から活動していたようですが、その腕前がデヴィッド・ボウイの目に止まったのが大きなきっかけだったと言えます。83年のボウイのヒットアルバム「レッツ・ダンス」でのプレイが評判となったわけですが、もうジャンルで言ったらバリバリ「ブルース・ギタリスト」
でもスティーヴィーの受けた、与えた影響やなどを考えれば、もう広い意味で伝説のロックギタリストってことでもいいでしょう(強引)(笑)!
とにかく、その切れ味鋭いギター・プレイは、そうですね、彼のトレードマークのテンガロン・ハットをして、テキサスの早打ちガンマンとでも言いますか(笑)。鮮烈なイメージでしたね。
特にこの年代で新しい世代のブルース・ギタリストとしてシーンに登場した意義は大かった。
あくまで正統派ながら、ジミ・ヘンドリックスなどの影響を色濃く感じるロック・テイスト溢れるアグレッシブなプレイなど、実にカッコよかった!
実際、「ヴゥードゥー・チャイルド」や「リトル・ウイング」などジミの楽曲もカバーしているので、「ジミヘン・フォロワー編」のカテゴリーでの紹介も検討したのですが、彼の存在は「フォロワー」では片付け切れないのは当然と判断したわけです。
ご多聞にもれず、彼もドラッグとアルコール中毒に苦しみ、活動を中断したことはあったものの、89年の復帰アルバム、「イン・ステップ」やファビュラス・サンダーバースで活躍する兄、「ジミー・ヴォーン」とのアルバムなどで高い評価を得ていた矢先の90年、ヘリコプター事故によってこの世を去ってしまいました…。
35才という若さ、たった10年足らずのメジャー活動で伝説になってしまった訳です。
しかしまあ、なぜ才能豊かな人に限って短命なんでしょうかねぇ。せつない。
さて動画でありますが、様々な名演が残る中、私個人的に好きな曲「テキサス・ハリケーン」をチョイスいたしました。楽曲の重要度に反して、比較的目にする機会が少なかったもので。
はっきり言ってベストなテイクとは言えないと思いますが(爆)、なるべく発表時に近いもの、として選んだ次第であります。
ちなみにスティーヴィーと言えば愛器、フェンダー・ストラトキャスター、通称「ナンバー・ワン」が有名。
彼の死後に精巧なレプリカが発売されたりしている、歴史を感じさせる外観のギター、この動画でも使われております。
ブリッジが左用のトレモロになっているのが特徴のひとつで、右用のギターを左でつかっていたジミ・ヘンドリックスの影響が垣間見れます。
ただもの凄く使いづらいって話ですよ(笑)。
ネックも何度も交換されているらしいので、年代によっていろいろな違いを見ることが出来ます。確かに83年のライブでも勢いあまってジミばりにこのギター、破壊されかかってましたから(爆)…。
見た目の特徴である、ピックガード上の「SRV」という大きなステッカー(?)はまだこの時期貼ってないようですね(おそらく86年頃からと記憶してます)。
それでは彼がファミリーと称するバンド、ダブルトラブルとのトリオ時代の息の合った演奏をどーぞ!



「Couldn't Stand The Weather」(1984)

↓やはりライブで聞くのが一番かも。ってことで、85年収録のライブをご紹介!


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2007年10月15日 (月)

Michael Schenker Group

今頃登場!マイケル・シェンカー!遅すぎ(爆)!
ようやくマイケル・シェンカー・グループのご紹介です。ご存知、UFOから失踪脱退後、自身のバンドを率いて復帰したのが80年。
折からのHM/HRの復権に乗って来日。武道館公演を大成功させて、ここ日本では特に大変な人気を誇りました。
スコーピオンズ在籍の兄、ルドルフのフライングVとはプレート類を逆にした白黒Vを股に挟んでメロディアス&強烈なソロを決めていく姿は「神」とまで比喩されておりましたな。
当伝ロックではUFO在籍時の動画を第2回目、というかなり早い時期にお届けしておりますが、勢いで始めた当ブログなために、なんだか大変失礼なコメントを付けた様な気が…(爆)。いづれ修正したい、と思っております(本当か?)。
現在も活動はしているものの、メンバーチェンジやマネージメントのトラブル、本人の急病、負傷、キレて帰る(爆)などのゴタゴタで、なかなか全盛期のような姿を見られないのは残念な限り。
そんなMSG、やはり故コージー・パウエル在籍時の81年がもっとも乗っていた時期といえるでしょうか。そんなこんなで、オランダでの81年のライブ映像をチョイスいたしました。
さて、これは有名な映像なのか…定かではありませんが。
で、曲はベタですが、「アームド・アンド・レディー」
ワルキューレーのテーマからなだれ込む黄金のオープニングです。当然!バンドでもコピーしてましたョ(笑)。
ボーカルのゲイリー・バーデンはライブになると??(爆)だったらしいのですが、当時発売された武道館ライブでは取り直しがされていて、真偽のほどは分からず。ですが今、それが確信に変わりましたね…。
はい、ドン!ご覧のような状況です(激爆)!
その後グラハム・ボネットやレイ・ケネディー、などボーカリストも変わっていきますが、なんだかんだ言ってゲイリー・バーデンが良かった、という人も多し。
私的には自分がそのポジションだったので、ギター・キーボードのUFO時代の盟友ポール・レイモンドがツボですが、エクスプローラータイプのベースを構えたクリス・グレンも激カッコイイです。
マイケル・本人も生き生きしてますね!ザンギリ頭も決まってます(爆)。
アメリカ留学の経験がある学生時代のバンドのギタリストがこう言ってました。
「アメリカにいた時のガールフレンドがさあ、こう呼んだんだよ。マイケル・スケンカー、ってね!あの時は笑ったなぁ。」…
アメリカン・ジョークでした(爆)!
それではどーぞ!



「Armed and Ready」(1981)



↓これは聞いておきましょう!なんだかんだ言っても名盤。

 


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