2016年5月 4日 (水)

Rabbitt

見切発車!(笑)
かねてより私が取り上げたいと思っていた大好きなアーティストにトレヴァー・ラビンという人がいます。
ギタリストでマルチプレイヤーでもあり、類い稀な才能を持つアーティストです。世間一般にはあのプログレッシブ・ロックの大御所バンド 「イエス」の’83年の再結成に関わり、「ロンリー・ハート」の大ヒットを生み出した張本人で認知されています。
そのトレヴァーがデビューしたバンドが今回ご紹介するラビットというバンドです。
同名のバンドがオーストラリアにも存在したようですが(綴りが違います)、こちらは南アフリカのバンドであります。
南アフリカ出身のトレヴァー、’72年結成時は「 コングロムレイション」というバンド名でジェス・ロ・タルの「ロコモティヴ・ブレス」をカバーしてスマッシュヒットしたりしていたようですが、それまでのメンバー、トレヴァー・ラビン(ギター・ボーカル・キーボード)、ロニー・ロボット(ベース)、ニール・クラウド(ドラム)に加えて’75年にキーボード、ボーカルのダンカン・フォールが参加。
ラビット名義として’75年にアルバム「青春の悪戯」をリリースします。世の中がアイドル・ロック全盛に傾く中、彼らもそのルックスと相まって本国南アフリカではベイ・シティー・ローラーズ並みの大人気となります。
この「青春の悪戯」ですが、本当に良くできたパワーポップアルバムでした。共作を含めほぼトレヴァーが曲を作りして歌っていますが、美しいコーラスとストリングアレンジ。ハードさとポップさが見事にブレンドされた名盤だと思います。
このアルバムからはシングル「いとしのチャーリー」がヒット。
続く’77年にリリースされたセカンドアルバム「裸の青春」では音楽性がさらに進化。
メンバーのヌードがあしらわれたジャケットがあれと言えばあれですが(笑)、すわクイーンかと思うナンバーからAOR的な味付け、プログレまで縦横無尽。
このアルバムではキーボードのダンカン・フォールもギター、ボーカル、曲づくりと存在感を増していきます。
しかしここでトレヴァーがバンドを脱退
一部にはアパルトヘイトを嫌ったという記述も見られますが、イギリスに渡ったトレヴァーは’78年にソロ作「誘惑の貴公子」を制作。さらにアメリカに渡ってイエスのメンバーらと接触をしていくというわけです。
一方残された3人はキーボードだったダンカン・フォールを中心に3ピースバンドとして再出発。実はトレヴァー・ラビンの陰に隠れてしまっていましたが、このダンカンも恐ろしい才人。ギター、ボーカル、ソングライティングでも素晴らしい才能を発揮しますが時すでに遅し…。
’78年にダンカンはあの(笑)「ベイ・シティー・ローラーズ」にレスリー・マッコーエンの後任として加入。バンドは解散となります。
そう、このダンカン・フォールこそがその才能でBCRを強力でアーティスティックなパワーポップバンドに生まれ変わらせた張本人なのです(笑)!
残念ながら「ザ・ローラーズ」と改名までしたのに世間からそっぽを向かれてしまった…。悲劇です。
その後のトレヴァーの活躍はご存知の通りですが、現在は映画音楽などの分野で活躍。久々のソロアルバムも高評価のようです。
一方のダンカンも地道に活動しているようです。
さて動画ですが…見切発車(爆)そう、ラビットもトレヴァーも恐ろしく動画がないんです(笑)。
もちろんお国柄という部分も否めませんが、ネットで見れるヒストリービデオには断片的なライブ映像などありますから、どこかに存在しているのだと思います。
そんな中!ヒストリー物ではアフレコにされていた楽曲の実際の音が入った動画を発見!
どこの国のテレビでしょう!音も悪く曲の途中のわずか1分半ですが、当時の彼らの勢いを感じる貴重な映像です。
その曲は「青春の悪戯」から「ハード・ライド」です。
アルバムでの唯一のダンカンのボーカル曲。当然動画でも歌っているのはダンカン。トレヴァー・ファンの皆様すみません…。
スタジオ版ではストリングスがバリバリ入るナンバーですが、シンセとドライブ感のあるギターでイキイキと演奏されています! 途中までですが…悪しからず。
早くフルの動画が公開されるのを夢見て!しばしどーぞ!!



「Hard Ride」 (1976)


 

↓個人的にお勧めは「青春の悪戯」です。思い入れたっぷり(笑)。サード・アルバムの「ロック・ラビット」は全世界的にCD化は無し…誰かー(笑)

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2015年5月 5日 (火)

Atomic Rooster

まだ出ていなっかたのか!のアトミックルースター登場です。
アトミック・ルースターは’68年結成のイギリスのバンド。
プログレッシブ・ハードロック・バンドです。ここ日本で話題になるのは、プログレッシブロックを代表するバンドの一つ、EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)のドラマー、カールパーマーがEL&P加入直前に参加していたバンドという肩書きですね。
中心人物はキーボディストのヴィンセント・クレイン
当時頭に火のついたロウソク乗せて白塗りで熱唱するオッさんのバンド(笑)「クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン」のメンバーだったクレインとパーマーが脱退、ベーシストでボーカリスト、フルートもこなすニック・グラハムとのキーボードトリオ編成のもと、アルバム「アトミックルースター登場」でデビューとなります。
このアルバム、クレインの変幻自在のオルガンとパーマーの超絶テクゆえ、プログレの名盤として非常に評価が高いのですが、直後にパーマーがEL&P参加のために脱退。 フロントマンのニックも抜けてしまいます。
ここからバンドほ軌道修正。アンドロメダのギタリストだったジョン・カンが加入、ドラマーにポール・ハモンドを迎えてのギターとオルガンのバトルありのハードロック・プログレバンドとして変幻を遂げるのです。
アルバム「悪魔の答」、専任ボーカルにピート・フレンチが加入のサードアルバムとこの第2期から3期の編成が私的にも超ツボ。
動画も多くみられますが、ジョン・カンのキレキレのギターが素晴らしい!
この路線で突き進めばディープ・パープルやユーライア・ヒープに肩を並べる大物となるのも時間の問題と思われましたが、アルバム毎に変化する尋常ならぬメンバー・チェンジの多さが災いしたのでしょうね(笑)。
この後バンドはさらに路線変更(笑)カンが脱退して、ボーカルが元コロシアムのクリス・ファーロウが加入、 R&Bテイストに。
ここでリリースされたアルバム。’72年の「メイド・イン・イングランド」が英、日ではなんとデニム地製のレコードジャケットでした。(特殊レコードジャケットに目のない私ですので、いずれゲットしようと狙っております)
さらにメンバーチェンジを行ったのち’73年に解散となります。
動画としてはブログ的にも流れ的にもジョン・カンのハードなギターを!となるのでしょうが、そうは行かないのが個人の趣味優先の当伝ロク(笑)。
第1期、カール・パーマー在籍時の貴重な動画を持ってまいりました!
レコーディング・スタジオでのセッション、デビューアルバム「アトミックルースター登場」から「S.L.Y」です。
当て振り(爆)、しかも2分程度であっさり切れてしまいますので、皆様的には若干欲求不満ですよね…。申し訳ありません!
しかし、この動画での初代ベーシスト&ボーカリストのニック・グラハムが格好良いのです!
なぜなら! 
ここで使っている赤いフェンダー・ムスタング・ベースは、手前味噌ながら私がライブの時に使用している楽器と年代的にも色まで全く同じものなのです(笑)。
ショート・スケールというサイズと物足りない音色(笑)のため、プロのベーシストが使うのは大変レアなケース…。
思わずこの動画を選ばずにはいられませんでした(笑)。なんて手前味噌なんだ(笑)!
ジョン・カン在籍時のハードロック然とした動画はまたの機会にお届けいたしましょう。
この後アトミック・ルースターは’79年に再結成。
ジョン・カンの戻ったハードサウンドを展開していたようですが、’89年に中心人物のクレインが故人となってしまい、ジ・エンド…となりました。
では勢いあふれるレアな演奏シーン、短いですが…お楽しみ下さい!



「 S.L.Y」(1970)


↓映像が第1期ですからデビューアルバムをご紹介しましょう。ジョン・カンのギターと歌をダビングしたアメリカ盤も良いですが、私的には当初のコンセプトをしっかり感じる事のできる、クレイン、グラハム、パーマーの3人のみで録られたイギリス盤を強くおすすめしておきます。名盤!!

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2014年8月14日 (木)

Family

「渡世人」と言えば寅さん?
いいえ、ジョン・ウエットンでございます(笑)。
久しぶりの「こんなバンドにおりました編」はそのジョン・ウエットンが在籍していたバンド、ファミリーのご紹介です。
ジョン・ウエットンはロック界きってのベーシスト&ボーカリスト。
キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、U.K.、ウィッシュボーン・アッシュ、エイジアなどプログレッシブ・ロックを中心に数々の伝説のバンドを渡り歩いて来た重鎮。
ロック好きの方ならあちらこちらで目にするはずですし、当ブログでも必然的に何度も名前が上がる脇役の常連と言えます。
そんなウエットンがキング・クリムゾン加入前に参加していたのが、このファミリーというバンドなのです。
などと書くと全国一千万の(笑)ファミリー・ファンのブーイングを浴びそうなので言わせていただきますと、彼が在籍していたのはたったの1年。
それはさておいてもファミリー自体は60年代から70年代のブリティッシュロックを語る上では欠かせない伝説のバンドなのです。
ファミリーは’68年のデビュー。ギタリストのチャーリー・ホイットニーとボーカル・のロジャー・チャップマンが中心メンバー。
デイブ・メイスンのプロデュースによるデビューアルバム 「ミュージック・イン・ア・ドールハウス」 はその多様な音楽性とサイケデリックな感覚でプログレに分類されるようですが、バンド自体はジャズやR&B、フォークなどの影響も色濃く、もっとアーシーな印象です。
続くセカンド 「ファミリー・エンターテイメント」 発表後メンバーチェンジを行い、元アニマルズのジョン・ワイダーがベースに、キーボード・ビブラフォン・フルートなどをこなすポリ・パーマーが参加。
70年にアルバム2枚を発表してのツアーなどバンドは円熟期を迎えます。
しかしその後ベース・のジョン・ワイダーが脱退。
そこで白羽の矢が当たったのが当時モーガル・スラッシュや数々のセッションなどで活動していたジョン・ウエットンだったわけです。
71年6月に加入後バンドは6枚目のアルバム「フィアレス」を制作。
このアルバムでのウエットンはギター・コーラス・キーボードまで担当、その存在感を発揮。
続くアルバム「バンド・スタンド」でもサウンドの要として名盤と呼ばれる所以となった訳です。
しかしアルバムの9月のリリースを待たずして、ロバート・フリップからの新生キング・クリムゾンへの参加要請を受諾。6月にはバンドを離れていたとのこと。
その後の彼の活躍はご存知の通り。
バンドからはポリ・パーマーも脱退し、その後アルバム1枚を制作するも解散となってしまいます。
このバンドのキモはなんと言ってもソングライターであるホイットニーとチャップマンでしょう。
特にボーカルのチャップマンのパフォーマンスの振り切れ度が半端ない(笑)。
ヘッド・バンギングならぬ首を横にプルプルふる65度、尋常じゃないタンバリンのぶっ叩き方が75度、若くして後退した生え際95度(笑)。
異様ともいえる「ちりめんビブラート」は彼以外にビートたけししか知りません(爆)。
冗談はさておき、動画のご紹介にまいりましょう。
ウエットン在籍時の映像がいくつか残っておりますが、TVショーの映像から。
アルバム「フィアレス」を代表するナンバー「スパニッシュ・タイド」です。
まず目を惹くのがウエットンとホイットニーの二人が使用しているWネックギター。ウエットンはベースとギターのWネック、ホイットニーは12弦と6弦ギターのWネック。ウエットンはイントロでギター、途中でのリードボーカルと存在感ありますよね。他の曲ではホイットニーとのツインリードも披露しています。
そして風貌。 なにしろ色男(笑)。
現在の横に拡がった姿が…(爆) まあいいでしょう。
それからパーマーの歪んだビブラフォンもかっこいい。この人のセンスがファミリーのサウンドに大きく影響しているのは間違いないところでしょう。
話は変わりますが、私最近アナログ盤の変形ジャケットというものを収集しております。
ファミリーのウエットン在籍時の2枚のアルバムは変形ジャケットとしても有名でありまして、この2枚を手に入れた事が今回取り上げたきっかけでした。
ちなみに「フィアレス」はメンバーの顔のイラストが多層的に重なったもの、バンドスタンドはテレビのブラウン管の中にメンバーがいる、といった趣向のもの。
再発CDでも同じデザインで出ていたりしますが、やはり大きいレコードジャケットでお見せしたいところです。
ちなみに私、ジョン・ウエットンと誕生日が一緒だったりします。余談でした(笑)。
では若き日のウエットンの勇姿をごらんあれ!



「Spanish Tide」(1971)



↓とりあえずウエットン在籍時の2枚をご紹介。アナログ盤の変形ジャケットも必です。

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2011年8月20日 (土)

Rubicon

久々登場、「あの人は今」!じゃなかった、「あの時僕は」のコーナー、「こんなバンドにおりました編」
ルビコンのご紹介です。
当時我々ロックファンには定番だったライブアルバム「カリフォルニアジャム 2 」
77年に行われ、78年にリリースされたこのロック・フェスのライブ盤の中にサンタナやエアロスミス、テッド・ニージェントと並んで収められていたのがルビコンでありました。
その頃あまり名前を聞いた事もなかったのですが、ブラスセクションバリバリのどファンクロックでやたら熱い演奏、そして歓声
サンタナやエアロを向こうに回してトリを取ったというのも納得だったのでした。
しばらくその存在を忘れていたのですが、意外なところでそのメンバーの名前を目にする事になります。
ギターのブラッド・ギルス、ベースのジャック・ブレイズ
そう後にアメリカンハードロック界を席巻するナイトレンジャーの二人が在籍していたのであります!
まずバンドのあらましについて触れておきましょう。
ルビコンは77年にサンフランシスコ、ベイエリアにてサックス奏者のジェリー・マルティニが中心となって結成。
この人スライ&ザ・ファミリー・ストーンにいた人で、まさに直系のゴリファンクなんですね。
ここに元コールド・ブラッドのトランペッター、マックス・ハスケットらが加わって展開されるサウンド、当然のごついファンクさは勿論のこと、ブラスロックと言っても良い強力なホーンセクションが特徴。
さらにデビューシングルとなった「炎の誘惑」のようなバラードやソウルフルな味付けもお手の物。
77年のファーストアルバム、「シスコの熱風」は大変評価が高く、カリフォルニアジャムでの大抜擢もうなずけるというものです。
そしてそして、このバンドで最大の核とも言えるのがジャックのベースだと言えます。
後のナイトレンジャーでは歌いながらシンプルなラインを弾くイメージがありますが、ルビコンではその音楽性にふさわしく、ほぼ全編スラップ、チョッパー奏法!!
ラリー・グラハムと見紛うがごとき、バカテク・パッシブサウンド
この人こんな演奏出来たんだぁと驚くこと受け合い
一方のブラッド・ギルス(この頃はブラッドリー・ギリスと言ってた)も後のアーミングによるトリッキー・プレイこそないものの、ファンクなバッキングに粘りのある速弾きを披露していてその片鱗をうかがい知れます。
当然動画を見たいと思って一時相当探したのですが、カリフォルニアジャム2での他のアーティストの映像はあるのに、なぜかルビコンのみ見つからず、ただ凄い演奏だったという噂ばかりが先行…。
あきらめていたら遂に動画発見!ここにお届け致します!!
曲はライブアルバムには未収録ながら、1'stからの「ザッツ・ザ・ウェイ・シングス・アー」
途中飛んじゃってますが(爆)、どーですか!
ホーンセクションのジェリー、マックス、デニスの3人がズラッと並んで歌い踊る姿
唸るジミーオルガン
そしてなにより、テロテロ素材のパンタロン・ベスト(笑)にデカサングラスで完璧ファンキー兄ちゃんのジャックが、べしべしチョッパー決めてる!!
一瞬ギャグかと思うほど別人(笑)
ブラッドもレスポールでファンキーに決めてるし。これは貴重であります。
さてその後のルビコン、翌79年に2nd 「夢のアメリカ」をリリース。
サウンドはブラッドのギターがよりメタリックになり、ロック寄りになった印象ではありましたが、ゴリゴリファンクとソウルフルなバラードも健在でした。
その後バンドは解散。
ドラムのグレッグ・エクラーに変わって後期ルビコンにツアーメンバーとして参加したケリー・ケイギーを誘ってジャックとブラッドが結成したのがナイトレンジャーの前身、「ステレオ」というバンドだった…。
あとのストーリーはご存知の通り。
リーダーのジェリーはその後もファミリー・ストーンのメンバーらと共演したりと活躍。
デニスも健在の様子。
ただ私の敬愛するトッド・ラングレンの91年のホールライブ一発録りアルバム「セカンド・ウインド」にも参加していたマックスは故人になっているという情報です。
それでは若き日のブラッド&ジャックの勇姿、ご覧下さい!



「That's The Way Things Are」(1978)


↓硬質になったセカンドよりは1stがおすすめか。またこんなチョッパーベース、弾いてくれないかなぁ…


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2009年11月24日 (火)

Talas (Billy Sheehan)

娘 「お父さん!ビリー・シーンて凄いんだよね!」
父 「おぅ、途中のムーン・ウォークが見ものだったんだけど、もうあのダンスが見れないとなるとなぁ…(泣)」
母 「あなた、なに言ってんのよ。それはマイケルのビリー・ジーンでしょ。そうじゃなくて…」
 「そうよ!あの超絶ベーシストのビリー・シーンの事なのよ。」
 「ちょっと待った!父さんの時代はなぁ、ビリー・シーハンと呼んだもんだぞ。」
母・娘 「いやぁねぇー、古臭い!」
さあ、オトボケ一家はさておきまして(爆)、ギタープレイヤーマガジンの読者投票で5度のナンバーワンに輝き、今やロック界一の超絶ベーシストとしての地位を揺るぎない物としたビリー・シーンがデビュー時に率いていたバンド、タラスのご紹介であります!
ビリー・シーンと言えばここ日本の90年代以降のロック・ファンの皆様には「ミスター・ビッグ」のベーシストとしてのキャリアが一番通りがよいでしょうか。
私が彼の名前を聞いたのは80年代初め頃。
「タラス」というバンドのベーシストがもの凄いらしい、と。
実際当時タラスの音源は未聴であったのですが、ほどなく彼はヴァン・ヘイレンを脱退したボーカル、デイヴィッド・リー・ロスのソロ・プロジェクトにこれまた超絶変態技巧派ギタリスト、スティーヴ・ヴァイと共に参加。
私が実際認識したのはその頃でありました。
デイヴ曰く世界最強のストリング・セクションと称したこの2人のトリッキー且つ超絶な応酬プレイに完全にやられたという輩もも多かったのではないでしょうか。
そしてそこで再録音されていた「シャイ・ボーイ」というハイ・スピードナンバーこそが、タラスでのビリーの楽曲だったのです。 
「ミスター・ビッグ」では新しすぎますし、当伝ロックとしてはやはり彼の出所である初期のタラスでの映像をぜひ押さえておきたい!という訳であります。
ジミヘンのライブを見て衝撃を受けたというビリーがベーシストに転向してから初めてステージに立ったのが、11人編成のジャズバンド(オパスワン)だったというのは驚きですが、その後デイヴ・コンスタンティノ(G)マイク・ピッコロ(Dr)と「タラス」を結成。地元バッファローで数年の活動後(一時ビリーはドラマー、ロン・ロッコのバンドに加入していた時期もあった模様)ドラマーをポール・ヴァルガにチェンジして、インディーズながら79年にファーストアルバム「タラス」をリリースします。
長らく幻のアルバムとなっていたこのデビュー盤ですが、ローカルヒットとなった「シー・ソウ」を収録。
全員がボーカルを取れるある種パワーポップとも呼ぶべきアメリカン・ロックが展開されていましたが、その後82年に発表されたセカンドではグッとヘビー・メタル系のサウンドにシフト。
ビリーのソロ曲「NV43345」、「シャイ・ボーイ」等が収録されたこのアルバムは大いに話題となり、ビリー本人にはマイケル・シェンカーやらヴァン・ヘイレンなどから加入のオファーが舞い込んだのは有名な話です。
83年にはピート・ウェイに替わってUFOのツアーにも参加したりしたようですが、結局タラスに戻って84年にはライブアルバム「ハイ・スピード・オン・アイス」を発表。
この時点でビリー以外のメンバーは一新され、専任ボーカルとしてフィル・ナーロ、ギターにミッチ・ペリー、ドラムスにマーク・ミラーという布陣に変わっていました。
その後4枚目のアルバムの制作に入った話も聞かれましたが、結局ビリーがデイヴィッド・リー・ロスのバンドに参加する形で消滅、となります。
ここでビリー・シーンのベーシストとしての特徴にふれておきましょう。
フェンダーのプレシジョン・ベーステレキャス・ベースのネックをジョイント。
ハイポジションの指板はベンドとニュアンスを出しやすいようにスキャロップ(ザグリ)加工されていて、4弦のペグはローDに瞬時にチューニングダウンできるヒップ・ショット・ペグに交換。
極めつけはそのピックアップで、フロントにギブソンのEBタイプのハムバッカーを搭載、通常のプレベのピックアップと分けてステレオ出力してそれぞれにエフェクターをかける、という独創的なもの。(後年ヤマハより「アティチュード」という全く同じ仕様のシグネイチャーモデルが出てからはそちらを使用。)
通常、ベーシストは進化すると5弦や6弦などの多弦ベースに走り、チョッパー奏法などのスラップ奏法などジャズっぽい方向へ行くのが常なのですが、ビリーの場合は(基本)ひたすら4弦で、しかもフィンガーピッキングでの速弾きにこだわっている、という部分、私は好きですね!
しかしながら、2本指、3本指、4本指、ライトハンド、両手でのタッピングなど、上から下から前から後から(笑)自由自在にベースを弾き倒す様はまさに圧巻。
実は私事で恐縮ですが、私、ベーシスト出身でありまして、同じ凄腕ベーシストでもアイアン・メイデンのスティーブ・ハリスあたりだと、まだ「挑戦して見ようか!」という気も起きますが、ことビリーにいたっては最初から「無理!絶対に無理っ!」と思ってしまいますなぁ…。
さてようやく動画ですが(爆)、81年、トリオ時代のライブ映像をお届けいたしましょう。
曲はバラードですが、どーでしょう、このビリー1人が異次元な感じ(笑)。
タラス時代全般に言える部分ですが、曲の途中のオブリガード(オカズ)の部分はほとんどベースソロですから!
まあ、「ミスター・ビッグ」以降のビリーとしては、非常に楽曲の歌とアンサンブル重視のメリハリの利いたスタイルになり、必要以上に出すぎる印象は薄れましたが、そこもまた奥ゆかしい所でもあります。
で一方フュージョンユニットの「ナイアシン」では座ってのテクニック重視のプレイも見せる、という…。凄い人です。
ちなみにタラスは01年、また08年と初期時代のトリオで再結成し、いまだにバンドの存在感を見せ付けてくれているのも嬉しい限りです。
では若干画質に難がありますが、愛称「ザ・ワイフ」という初期の愛器を高めに構えて弾きまくる、若き日のビリーの勇姿をご覧下さい!



「Tell Me True」(1981)


↓アルバムとしては「ビリー・シーン:ザ・タラス・イヤーズ」でセカンドとライブが揃いますが、個人的にはなんと言ってもファーストがおすすめ!ハードなファンには??かもしれませんが、パワーポップ好きな私としてはドンピシャ!コーラスバッチリのアメリカン・ロックで楽曲良し!ぜひご一聴を!


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2008年6月22日 (日)

Blue Angel (Cyndi Lauper)

やりたい放題(爆)!シンディ・ローパーといえば、マドンナと共に80年代のミュージックシーンを引っ張って来た押しも押されぬ大スター
現在も精力的に活動しておりますが、彼女がソロデビューして脚光を浴びる前、バンドのボーカルとしてアルバムを出していた時のことはあまり語られることが少ないように思います。
その伝説のバンド、ブルー・エンジェルをご紹介いたしましょう!
70年代の下積み時代、喉にトラブルを抱えるほど歌い続けたシンディ。78年に結成したこのバンド、ブルーエンジェルで、80年にデビューのチャンスをつかむわけです。
キーボードのジョン・テュリ(この人、サックスも吹きます)と共にシンディ自身も曲作りに関わったこのバンドのサウンドは、一言でいえば、ネオ・ロカビリーとでも呼ぶべきもの。
非常に目の付け所は良かったと思うのですが、残念ながら当時はブレイクすることなく、アルバム1枚でマネージャーとトラブル、訴訟で解散という不運でありました。
当時同時期に登場したストレイキャッツが成功した事を考えると、もうちょっと頑張っていれば違った展開もあったかも知れませんねぇ。
かの山下達郎氏も自身の番組でオンエアーした時には「良いバンドだった」とのコメントを発していたように思います。
で、プロモーション以外はなかなか映像もなく(当然と言えば当然…)、今回の動画も思いっきり当て振り(爆)ではありますが、「メイビー・ヒール・ノウ 」をお届けしましょう。
どーですか、このはちきれ振り(笑)!
肩がはだけようともお構いなし!観客と絡んでみたり、寝転がったり飛び跳ねたり、元気過ぎてちょっと危ないぐらい(爆)ですよね。
しかしながらこのどこまでも伸びていくハイトーン、圧倒的な歌唱力、もう完全にその後のシンディの原型は出来上がってますよね!
私的にはここのベーシストがトレードマークにしていた(アルバムジャケやプロモにも登場)、フライングVのベースがちょっと気になりますな(笑)。
ちなみにこの曲はソロのセカンド、「トゥルー・カラーズ」で、またバラード「アイム・ゴナ・ビー・ストロング 」はベスト盤で、後にセルフカバーされていますから、聞き覚えがある方も多いでしょう。特に
「アイム・ゴナ~」は今でもライブで大切に歌われているようですね。
それでは若き日のシンディのハツラツとしたパフォーマンス、お楽しみ下さい!



「Maybe he'll know」(1981)


↓唯一のリリース盤ですが、なかなかの名盤! 本人はこのジャケットが気に入らなかった(笑)とか。


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2008年3月28日 (金)

Skid Row (Gary Moore)

スッキド・ロウ、と言っても90年代、セバスチャン・バックのメタルバンドではありません
鬼神(笑)、ゲイリー・ムーアがデビュー時に在籍していた、アイルランドのトリオ・バンドです。
デビューは69年。ゲイリーは若干17才。凄いですね!
当初後にシン・リジィで再会するフィル・リノットがボーカルとして参加しているも、シングル盤のみで解雇となり、デビュー・アルバム「スキッド」(70年)からは、ベース、ブラッシュ・シールズ、ドラム、ノエル・ブリッジマンとのトリオになります。
いやあ、それにしても伝ロック、ゲイリー・ムーア率、高いですね(笑)。まあ個人的に好きなギタリストなものでお許しを…(爆)。
たぶん、ですが私が学生の時にこのスキッド・ロウのアルバムがリイシューされて飛びついた記憶があります。とにかく全体荒削りなんですが(まだ10代なのでしょうがないけど)、サイケ、ジャズ、ハードロック、プログレ、ブルースが入り乱れた強力なバンドだったと記憶しております。
で、よもや動く姿が見れるとは
それでこの動画、いやー私、久しぶりに…
大爆笑しました(失礼…)!
まあ、ご覧になっていただければわかる通り、かなりぶっ飛んでます(笑)。
驚きはゲイリーで、もう速いパッセージのソロでは、ほとんどそのスタイルは完成されてますね!
しかしこの風貌(笑)。頭の中を「おっさん」もしくは「猿」といったキーワードが明朝体で流れていきましたよ(失礼!)。うーん、なぜ赤いニット帽なのか…(笑)。無精ひげとあいまって、とても18、9才の若者には見えませんぞ!
さらに強力なのが、ベーシストのブラッシュ。アルバムでもかなり超絶な感じなんですが、完全にキレまくってますね…。
ジャカジャカとコードカッティングするわ、ギュンギュン、チョーキングするわ…。チューニングが狂っても、タイミングがずれても全くお構いなし
私がプロデューサーだったら出て行って頭を小突く所ですよ(爆)。
でも相当に目立ちたがり屋、というのは一目瞭然ですね。なにせ弾いている楽器もアンペグのクリスタル(透明)ベース
ギター版はストーンズのキースなんかも使っていたりする変り種なんですが、こういう音なんですね!日本でもコピーモデルはかなり出回っていましたが、オリジナルは高かったですよ。
そうそう、この透明アクリルボディーって、もの凄く重いんですよ。
さてその後なんと34時間で録音された、というセカンドアルバム、その名も「34時間」というタイトルのアルバムをリリースしたりしましたが、間もなくの72年にゲイリーは脱退してしまうわけです。
それではファーストアルバムより、「UNCO-UP・ショウバンド・ブルース」。
若さ溢れる(?)貴重な演奏、ご堪能下さいませ!



「Un Co-op Showband Blues」(1971)


</p>

↓私がリイシュー盤で購入した時の物とはジャケットが違うような…。イギリス本国のアマゾンから引っ張ってきたらもの凄い値段になってます(爆)。



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2008年2月12日 (火)

The Nice (Keith Emerson)

知る人ぞ知るバンド、「ザ・ナイス」。
EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)のキース・エマーソンが所属していた事で知られるナイスですが、元々は女性シンガー、パット・アーノルドのバック・バンドとして、66年にイギリスで結成されました。
セカンドの「少年易老学難成」(凄いタイトルだ…(笑))以降にギタリストのデヴィッド・オリストが脱退し、その後はキース・エマーソンの独壇場ジャズやクラシックの要素を巧みに取り入れながら、5枚のオリジナルアルバムを残しております。
時代はまさにプログレ黎明期。
後のクイーンなどにも大きな影響を与えたとも言われるナイス。キース以外のメンバーはEL&Pほど技巧派ではありませんが、今聞いても十分に斬新な音楽性で感心させられますな。
特に、ムーグなどのシンセこそ無いものの、キースの激しいオルガンとそのテクニックはすでに完成されていた、と言って良いと思います。
動画は68年リリースのシングル・ヒットで、ウエスト・サイド・ストーリーの挿入歌でも御馴染み「アメリカ」のカバー、BBCのライブからです。
どーですか!若き日のキース。
EL&Pでおなじみハモンド・オルガンにナイフを突き立てて音を伸ばしながらフィード・バックさせたり、オルガンの反対側から弾いたりするパフォーマンス、すでにやってますしね!
その後キースはキング・クリムゾンを脱退したグレック・レイクと共に70年、EL&Pの結成へと動いていきます。
なお「ナイス」は02年に一時的に再結成され、ライブ盤も発売。また現在のキースのソロライブでもレパートリーとして取り上げられることもあるようですね。
モノクロの動画で画質もあまり良くありませんが、ボーカル兼ベーシスト、リー・ジャクソンのVOXベースもなかなか見所ですね。
それでは貴重な映像をどーぞ!



「America」(1968)


↓デビュー盤「ナイスの思想」に豊富な動画曲のボーナス・トラックを収録!

 

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2007年12月21日 (金)

Rockpile

英国パブロック界で伝説のバンドと言えばこちら、ロックパイルであります。
私も大変リスペクトなアーティス、パブロックの始祖、「ブリンズレー・シュウォーツ」のメンバーだったニック・ロウがベース、同じく60年代、ラヴ・スカルプチャーから活動しているパブロック界の重鎮、デイヴ・エドモンズがギターという、いわば双頭バンド
レーベルなどの関係上、ロックパイル名義で残されたアルバムがたった一枚だったために、伝説的扱いを受けているわけです。
しかしながら、この年代(78年から80年頃)にリリースされた、ニック・ロウ、デイヴ・エドモンズのソロアルバムはほとんどロックパイルのメンバーによるものと思って良いでしょう。ライブでもソロ名義の楽曲が数多く演奏されている模様。
フロント3人は全員歌えるロックパイルですが、やはりニック・ロウとデイヴ・エドモンズの2人に尽きるでしょう!
70年代のレノン/マッカートニー、といったらちょっとほめ過ぎですかね…。
ソロとしてもプロデューサーとしても類いまれな才能をもつ2人だけに、悪いものが出来る訳がありませんアンド長続きする訳がありません(爆)。
アルバム発表後間も無く解散となったようです。
ポップでキャッチーでコンパクトなロックンロールは今聞いても思わず唸る職人技
さすがです。
比較的探しやすいロックパイルの動画ですが、若干ニック・ロウびいきの私はやはり彼のボーカル曲、78年のソロ第一弾「ジーザス・オブ・クール」から「ソー・イット・ゴーズ」をチョイスしました。
いや、ただへイマーの8弦ベースを弾くニックの姿をぜひ見せたかったものですから、すみません(爆)。
でもどーですか!若き日の彼らの姿!本当にカッコいいですよね。
まあ、いずれデイヴ・エドモンズ中心の動画もお届けいたしますよ、ファンの皆様(笑)。
高校の時、キャンディーズの大ファンだったO野君の家に遊びに行った時、彼がレコード棚からおもむろにロックパイルのアルバムを取り出して見せてくれ事がありました。
「どう?ロックパイルだよ!」と言う姿に
「やられたー…」と思ったものです(笑)。
当時あまり知らなかった私の
「どんな感じだった?」という問いに
「うーん…ロカビリーみたいな感じ?」
と自信なさげな答えをくれたのが印象的でした(笑)。
今になって思えば、まあ、あながちハズレてはいなかったかな?とか思いますが(爆)。
それではどーぞ!

 


「So It Goes」(1980)


↓ロックパイル名義はこの一枚のみ。マストですぞ。



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2007年10月19日 (金)

Marbles ( Graham Bonnet )

マーブルズです。 「おー!マーブルズかぁ!懐かしいなぁ…」なんて人がいたとしたら…。
その人は相当なマニアですね(爆)!
MSGをやった時に偶然発見。リッチー・ブラックモア率いるレインボウの二代目ボーカリストとしてその名を馳せ、その後も数々のHM/HRバンドを渡り歩いた、さすらいの超パワフル・ボイス・ボーカリストグラハム・ボネットがデビュー時に在籍していたグループであります。
グラハムと言えば、その4オクターブを超えるハイトーン・ボイスながら、野太く、大変パワフルな歌唱力でHM/HR界をあっと言わせたことで有名ですが、それよりなにより、短髪リーゼントにスーツスタイル(時にアロハ)という、当時のHM/HRには全く不釣合いな格好を貫いた、という事のほうが有名でしょうか(爆)。
とにかくその実力は超絶ながら、まったくファッションスタイル的に迎合しない姿勢が大いに反感を買うに至るわけです。
思えば気の毒な気もしますが、「ヘビメタは嫌い」と公言しながらも、ついつい様々な凄腕HRギタリストの誘いに乗ってバンドを組んでしまう&結局脱退…という悪循環(笑)。 本当はまんざらでもないのでしょう(爆)。
まあグラハム個人については、今後様々な形でここにも登場すると思われますので、ここではちょっと押さえておいて(爆)、動画のマーブルズについてお話することとしましょう。
クリームのマネージャー、ロバート・スティッグウッドがオーディションの末、68年にデビューさせたマーブルス。グラハム・ボネットと従兄弟のトレバー・ゴードンの2人によるポップス・デュオ、という位置づけで、かのビージーズのペンになる楽曲をレパートリーにしていたそう。
で、その中でも、イギリスやオーストラリアでヒットしたのが、この動画の曲、「オンリー・ワン・ウーマン」という訳です。もちろんハードロックではなく(笑)、ビージーズを思わせる叙情的な曲調。
しかしながら、どーですか、このグラハムの歌唱。完全に完成されてますよね!
なんという声なんでしょう!メチャウマです!
動画は残念ながら当て振りですが(爆)、十分ただものでない感じが伝わってまいります。
アコギを右肩に掛けて歌う姿も決まってますが、なによりこの動画の凄いところは、「あの」グラハムが「長髪」だ、と言う事!
レインボーやアルカトラス時代よりもよっぽどロック・ミュージシャンっぽいと思いませんか(笑)?
むりやりそうさせられていたのか、はたまたこの当時はこだわってなかったのか?
大変珍しいですね。でも衣装はしっかりスーツ姿(笑)。
バンドはグラハムが喉を痛めたことから、2年ほどで活動をやめた、とされています。
91年の自身4枚目のソロ作、「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」でもセルフ・カバーするほどなので、彼本人にとっても大切な曲なのでしょう。
とにかくいい曲なので、一度聞いてみて下さい!
長髪グラハム、レアーですよ!
それではどーぞ!



「Only One Woman 」(1968)


↓アルバムとしてはこのアルバムぐらいでしょうか…。ジャケットでも「長髪」だぁ!



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