2016年1月 4日 (月)

SEX PISTOLS

ついにこの日がやってきました…。伝説のパンクロックバンド、「セックス・ピストルズ」の御紹介です。
まだだったのかい!というツッコミが聞こえてきそうですが、当、伝ロクで意図的に先送りにして来ていた、いくつかの大物バンドの一つです。(理由は後ほど…)
いわゆるロックというジャンルの中のパンクというカテゴリー。まさにその代表とも言えるのがこのバンド。
’76年11月にEMIより「アナーキー・イン・ザ・U.K.」でデビューした「セックス・ピストルズ」。
その仕掛け人はロンドンで「SEX」というブティックを経営していたマルコム・マクラーレン
パンク・ロックというと、どうしてもロンドン・パンクに目が移りがちですが、実際のパンクの祖はニューヨークでした。73年にデビューのニューヨークドールズをはじめ、クラブCBGBなどで巻き起こった新しいロックのスタイル。
74年に渡米したマルコムが後期ニューヨークドールズのマネージメントを務めたのがきかっけで、自国イギリスでもその刺激的なロックを展開しようと作り上げたバンド。それが「セックス・ピストルズ」だったのです。
マルコムの店の常連だったギターのスティーブ・ジョーンズとドラムのポール・クック
店員だったベーシストのグレン・マトロック、オーディションで参加したボーカルのジョニー・ロットン
この4人の作り出すロックンロール、過激な言動、刺激的なファッションは、当時のイギリスの不況で行き場を無くしていた若者達の共感を呼んで一大ムーブメントと化すのです。いわゆるパンク・ロックのファッション的要素や音楽的特徴はまさにこのバンドのイメージそのものだったと言えるでしょう。
そしてそれはまさしくマルコムの思惑通りの展開。
徹底的に周囲に反抗し、権力、王室、既存のロック、観客までにもツバを吐く…度重なるレコード会社の契約破棄や警察沙汰をもこのバンドの象徴となりました。
’77年アルバム「勝手にしやがれ」発表。
全英No.1を獲得するも直前に大半の曲作りに関わっていたベースのマトロックが脱退。その後任にピストルズの熱狂的ファンだったというシド・ヴィシャスが加入。
ベース未経験での参加ながら、そのスタイル、ドラッグ中毒、過激な言動はまさにパンクの象徴として語られる存在となりました。
’78年バンドはアメリカツアーを敢行するもトラブルとハプニングが続き、ツアー中に「ロックは死んだ」という発言と共にジョニーが脱退。バンドは終焉を迎えることとなります。たった1年数か月の活動でありました。
さてバンドの解説はここまで(笑)。
私自身学生時代はハードロックに傾倒していたのですが、当時は明らかにハードロックとパンクロックのファンとの対立ともいうべき状況がありました(笑)。
古いロックの長髪、ダサい、つまらないに対してパンクの下手くそ、短髪、過激、といった対立構図はファンの間でもしっかり別れていたのです(笑)。
そんなこともあり、私自身も当時パンクというカテゴリーは敬遠していたのです。まあ今となっては信じられないのですが(笑)。
そしてまがりなりにもこんなブログを始めたり、様々なロックを聴きこむ中で、このピストルズやクラッシュはじめ、数々の当時パンクと呼ばれていたバンドの格好良さを再確認した次第です。
ここまで登場を引っ張ったのはそんな個人的事情もあったのです。みそぎですね(笑)。
当時、下手!と思い込んでいた演奏も、じっくり聞けば全然そんなことはなく、テクニックとは別次元なハイエナジー・ロックンロール
特にピストルズのアルバムで聞かれる重厚なギターサウンドは、名プロデューサー、クリス・トーマスの手腕も相まって最高ですね。
実は当時もこっそりコピーして弾いてみたりもしてい事もあり…(笑)もしそこではまっていたら…きっと別な人生になっていたかも知れませんね(笑)
そんな話も納得出来るのは他のパンクバンド同様、ブームと呼ばれた後にもしっかりとした音楽性をもってメンバーが業界に生き残っている、という部分でも証明されています。
ジョニーがその後、本名ジョン・ライドンに改名してから結成したP.I.Lの前衛的なアプローチなどもその一端と言えますね。
唯一その後シド・ヴィシャスが破滅を地で行くが如く、恋人ナンシーの死と共に21歳にして薬物の過剰摂取で他界。伝説となってしまいました。
ピストルズ自体はその後数回の再結成を行っています。
若さに任せた衝動を売りとしていたパンクバンドの再結成には個人的に?がつきますが、はっきりと「金のため」と発言したり(笑)’06年のロックの殿堂入りの話も足蹴にしてみせるなど、ある意味一貫したポリシーも見て取れます。
そう言えば余談ですが、私が中学の時のお昼の校内放送で、シドがのちにソロとして発表したシナトラカバーのふざけた「マイ・ウェイ」を流した強者がおりまして(笑)、先生が血相変えて放送室に飛び込むという事件がありました(笑)。
さて動画はドライブ感抜群なマトロック時代か、はたまた演奏はガタガタでも象徴的なシド時代にすべきか悩みましたが…やはり動くシドの姿、曲も定番の「アナーキー〜」や「ゴッドセイヴ〜」ではなく、(笑)シドの書いた「ボディーズ」をチョイスしました。
超有名映像ですが、ジョニー脱退直前まさに伝説のウインターランドのライブから。
それではどーぞ!!


「Bodies」 (1978)





↓唯一のオフィシャルアルバムにデラックス・エディションをおすすめ!



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2014年5月 3日 (土)

Shoes

さあ行きますよ!パワーポップの伝説のバンド、シューズの登場です!

……はい、無理もないですね(笑)
ではではご紹介していきます。74年に米イリノイ州ジオンで結成されたシューズ。
メンバーはジョン・マーフィー(ベース)とハイスクールの同級生ゲイリー・クリープ(ギター)にジョンの兄ジェフ・マーフィー(ギター)が参加して誕生。
ドラムにスキップ・メイヤーが参加したのち77年にリビングで制作した自主制作盤「ブラック・ビニール」が話題となり、79年に米エレクトラレーベルよりアルバム「プレゼント・テンス」でメジャーデビューとなります。
キャッチーなメロディーにハードなサウンド美しいボーカルハーモニーというパワーポップのジャンルは私にとって大好物なわけですが、彼らもご多分にもれずそれらを兼ねそろえていて、現在パワーポップ界の重鎮とかまで言われております。
彼らよりデビューの早かった同郷イリノイ州ロックフォード出身のチープトリックの方が圧倒的に有名になってしまったため、なかなか語られる事はなかったと言えます。(そういう私も後追い…邦盤も出なかった)
彼らの場合は美形ではありますが結構格好も地味ですし(笑)曲もシンプルなリズムとリフを延々繰り返す、といった感じで今ひとつインパクトに欠ける感じは否めなかったのかもしれません。
1曲聞いたら大名曲だけどアルバム通したら、全部これ ?的な(失礼!)でもそんなバンドは世の中に沢山ありますし、ある意味そのブレの無さが確かな音楽性の確立に寄与するわけで、まさに今となっては(まだ活動中!)最高にリスペクトするポイントな訳です。
フロント3人皆が曲作りをし、全員がリードボーカルをとれるというのは何と言っても強みでしょう。
81年にセカンドアルバム「タン・ツイスター」82年に3枚目「ブーメラン」とリリースし、サウンドもぶ厚い感じになり評価が高かったのですが、彼らのメジャーでのリリースはここまで。
おりしも時代はニュー・ウェイブ全盛。その後は自主レーベルで初期のレコード名を冠した「ブラック・ヴァイナル」(今ならこう読みますね)を立ち上げての活動となります。
80年代90年代と様々なパターンでリリースを続け、07年ジェフ・マーフィーのソロ、09年来日に合わせて音源がリマスター紙ジャケCD化されるなど根強い人気を誇ります。
さらに2012年には18年ぶりの新作「イグニッション」を発表見た目はオッサン化したもの(笑)、全く変わらないサウンドを披露してくれています。
なおドラマーは途中からリック・メンクに、新作ではジョン・リチャードソンとなっています。
さて動画ですが、やはり代表曲の「トゥモロー・ナイト」で行きましょう。
彼らのサウンドを初めて聞いたときにちょっと個人的に引っかかることがあったのですが、動画を見て謎がとけました。ベースのジェフがヘイマーの8弦ベースを使用していたのです!
分厚いサウンドはそのせいだったのです。
ちなみに私のアイドル、イリノイ出身のチープ・トリックのベーシスト、トム・ピーターソンもやはりヘイマーの複弦ベース(12弦ね)を使用しており、なんだこの複弦率の高さは…やるなイリノイ州!、と思っていたらヘイマーってイリノイで作ってたんですね!納得!
シューズのギター陣もヘイマーをメインで使用してますし、あふれる地元愛を感じますね!
やはり彼らの魅力はこのビートと甘いボーカル・ハーモニーでしょうね。このベタ甘な感じでも他のティーニー・ポッパーやバブルガム・バンドのような作られた感(爆)がまったくないのは彼らがオリジナリティーあふれるロックバンドである証拠とも言えます。
それでは81年テレビ出演での初々しいパフォーマンスからどうぞ!


「Tomorrow Night」 ( 1979 )



↓やはりここはメジャーデビューアルバムを推しておきますね。

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2014年1月 2日 (木)

Talking Heads

'77年デビューの「トーキング・ヘッズ」
パンク・ニューウェイブの代表バンドの一つとして取り上げないわけにはいかないでしょう!
バンドの中心人物はギター・ボーカルのデヴィッド・バーン
美術学校に通う彼のバンドに、クリス・フランツ(ドラムス)とティナ・ウェイマス(ベース)が加入しトーキング・ヘッズと名乗るようになったのは74年頃でありました。
ラモーンズ、パティ・スミス、ブロンディなどそうそうたる顔ぶれを輩出したニューヨークのライブハウス「CBGB」に出演、75年頃には常連となっていたそう。
ジェリー・ハリスン(ギター・キーボード)が加入したデビューアルバム「サイコ・キラー'77」は 荒削りながら評判を呼び、78年の2作目「モア・ソングス」ではブライアン・イーがプロデュース
このアルバムからのシングルでアル・グリーンのカバー「テイク・ミー・トゥ・ザ・リバー」がビルボード26位となり、一躍注目をあびるようになったわけです。
トーキング・ヘッズと言えば、良くも悪く(?)もデヴィッド・バーンの個性的なパフォーマンスに尽きるでしょう。
その神経質かつ、しゃくる様なボーカル、中性的な感じは間違いなくその後のニューウェイブの一つのアイコンとなっています。
当ブログでは何度か告白しておりますが、当時私はハードロック少年だったため(笑)このニューウェイブ特有の感じがダメで(爆)、正直当時全くなびかなかった(笑)。
先入観というのは恐ろしいもので、近年改めて聞き返してその良さに気づくという事も多々あり…。まさにトーキングヘッズもその一つと言えるのです。
さて次作「フィア・オブ・ミュージック」ではキング・クリムゾンのロバート・フリップが参加。
80年発表の「リメイン・イン・ライト」ではイーノの下アフリカのミュージシャンを参加させてのアフリカン・ビートとを融合。これが見事にはまり、バンドの不動の地位を確立したと言えます。
かつてのパンクという一つの切り口でまとめられたバンドの数々が、様々な音楽を融合して進化していった形がまさにこのトーキングヘッズでも体現されていたと言うべきでしょう。
この時期のライブではメンバー以外のアフリカなどのサポートミュージシャンが大挙参加。
ステージの途中ではバンド内ユニットとも言うべき「トム・トム・クラブ」(ティナ・ウェイマスとクリス・フランツのリズム隊中心のダンスポップ。なおこの2人は夫婦!!)がパフォーマンスを行うなど、エンターテイメント性の高いものになっていました。
その後各メンバーのソロ活動があったり、ドキュメンタリー映画が制作されたり、さらには「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」などのヒット曲は出るものの、バンドは徐々にメンバーそれぞれの方向性に進んでいった感は否めません。
そんな中85年にリリースされた「リトル・クリーチャーズ」はメンバー4人のみで原点に回帰した作品であり、個人的にはお気に入りであります。
その後ツアーが行われないまま89年に最終作「ネイキッド」がリリースされ、解散となりました。
私個人としてのトーキングヘッズはですね、すみませんベースの紅一点ティナですね(爆)。私自身がベースを弾いたりしている点、また最近使用している楽器が一時期のティナと同じ楽器(ムスタング・ベース)なものでつい…(笑)。
特にデビュー直後の小さい体でビートを弾き出す姿はたまらないですよ!
どーですかご同輩!
あ、すみません取り乱しました(爆)。
その後デヴィッド・バーンはソロ、またワールド・ミュージックを取り上げたレーベルの立ち上げなどでその手腕を発揮。
一方ティナとクリスは「トム・トム・クラブ」として現在も活動を続けています。
再結成めいた形も何度かありましたが、バーンと他メンバーとの音楽的溝は大きく、今後の再結成は望み薄、と言った所でしょうか。
さて、動画です。私的にはやはり初期のロック然とした持味の生きる代表曲「サイコ・キラー」で行きたいところ。
有名なのはイギリスBBCのテレビ、「ジ・オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」での映像ですが、ここは貴重性を優先してデビュー前75年のCGBGでの映像をお届けしましょう!
近年ドキュメンタリーの中で発掘されたもの、モノクロで画質音質最悪ですが、ここでの荒っぽい演奏こそがまさしくロック!ぜひご覧下さい!
なおこの時はまだバーン、ティナ、クリスのトリオ編成となっております!
それではどーぞ!!


「Psycho Killer」(1975)


↓代表作はあれど、私的にはこのデビュー盤であります。












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2013年5月 5日 (日)

Brinsley Schwarz

パブ・ロックと呼ばれるジャンルがあります。
70年代前半からイギリスにまき起こったムーブメントの一つ。その礎と呼ばれているのが、今回ご紹介するバンド、「ブリンズレー・シュワルツ」です。
現在は「シュワルツ」ではなく、「シュウォーツ」と表記するらしいのですが、いいでしょシュワルツで(爆)。
そう、私が個人的に大好きで、以前この伝ロクでも取り上げさせていただいた、御大ニック・ロウが在籍していたバンドであります!
この「ブリンズレー・シュワルツ」という不思議な名前、リーダーでギター・ボーカルのブリンズレー・シュワルツの名前がそのままバンド名になったもの。今で言うところの「ヴァン・ヘイレン」みたいなもんかぁ…っていうか全然今じゃありませんが(笑)。
前身であるバンド、「キッピントン・ロッジ」にニックがベーシストとして加入したのが68年。
ポップ・ロック調のシングルを数枚発表。キーボードがボブ・アンドリュース、ドラムスがビリーランキンと落ち着いて「ブリンズレー・シュワルツ」と改名します。
ところがこのバンド、デビュー前に巨額を投じてアメリカでのプロモーションを展開するも結果はボロボロ…多額の負債を背負うことになるのです。
70年に晴れてデビューするも、別名義でリリースしたり、年間300本(!)ともいわれるパブでのライブなど、地道な活動が続きました。
しかしながら72年にギター・ボーカルのイアン・ゴムが参加してからのサードアルバム「シルバー・ピストル」はラインナップが固まっての代表作との呼び声も高く、その後良質のアルバムを2枚発表。でもやっぱり陽の目を見ることは無く75年に解散…。
これだけ書くと身もフタもありませんが(爆)ここで重要な出会い。
74年発表のラストアルバムをプロデュースしていたのはデイヴ・エドモンズ
意気投合したニックとデイブがのちに「ロックパイル」を結成するきっかけとなったわけです。
さてブリンズレーがシーンに与えた影響です。
まずサウンド。ビートルズ以降の70年代のイギリスのロックと言えばハード・ロックやプログレッシブ・ロックなどが登場して一大勢力を築いていく時代。そんな中にあって、彼らのサウンドはロックンロール、ブルース、カントリーなどのアメリカン・ルーツミュージックとも言えるシンプルなもの。ゆえにイギリスの「ザ・バンド」とも呼ばれていたのです。
私的に感じるのは多くのブリティッシュ勢がブルースやソウルの影響を感じさせる中、むしろカントリーテイストを感じさせる白人感バリバリ(笑)のアーシーなサウンドが基調であった、という所。
ここにニック・ロウの「ひねくれパワー・ポップ」感が加わるのですからたまりません。
当時、同じようにパブ・ロックというジャンルを形成していたアーティストとしてはイアン・デューリーパイレーツ、前述のデイヴ・エドモンズ本人、ドクター・フィールグッドらもあげられますが、彼らの一番のポイントは、この後起きるパンク・ニューウェイブへの影響でしょう。
シンプルなロックンロールに回帰した音楽性。クラッシュのジョー・ストラマーもパブ・ロック出身でありますし、後にニックがプロデューサーとして世に送り出したダムド、ブリンズレーのナンバーをカバーとして取り上げるエルヴィス・コステロプリテンダーズと関わっていった事を考えてみてもそうですね。
一方解散後のブリンズレー本人とキーボードのボブ・アンドリュースはグラハム・パーカーと共に「ルーモア」を結成。
自分の名前のバンド引っ張ってたのに、ぐっとこらえて新人をバックアップする姿。美しい。そしてそれで良かったのか感(爆)。
(余談ですがこの二人は佐野元春の92年作「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に参加しており個人的に嬉しかったですね)
こちらもパブ・ロックシーンを牽引していくわけです。
この辺が後にブリンズレー・シュワルツを伝説のバンドと言わしめた理由と言えましょう。
さて動画!おすすめは円熟期75年のTVショー、ロックパラストあたりですが、わたし的にはこちら!
イアン・ゴム加入直後の73年、フランスのテレビからのライブです。
なんと言ってもこの若々しい演奏!グルーブ感。フロント全員が歌えるって凄いですねぇ。
曲は傑作「シルバーピストル」からの「ジュジュ・マン」ぐっとテンポを上げての熱い演奏。あともう一曲、72年のライブコンピ盤への提供曲でしょうか、「ワンダー・ガール」と続きます。
ネット上のこの映像、音ズレが酷かったので、今回修正版にてご提供。画質音質ご容赦で(爆)!
それではどーぞ!!


「JuJu Man ~ Wonder Girl」(1973)




↓もちろんおすすめはシルバーピストルですが、'04年に発売されたBBC音源も貴重!ニック・ロウのソロヒット曲「恋するふたり」がもう演奏されていたことに驚愕!!

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2011年3月 6日 (日)

The Rascals

まっくろくろすけ(笑)!ラスカルズのご紹介です!
64年ニューヨークで結成されたラスカルズは66年デビュー。
同名のバンドがいたため、68年までは「ヤング・ラスカルズ」と名乗っていました。
黒人のR&Bやソウルミュージックのスタイルを白人が演奏する、という「ブルー・アイド・ソウル」を代表するバンドのひとつと言えます。
R&Bの名門アトランティックと契約、デビュー早々66年のシングル「グッド・ラヴィン」はオリンピックスのカバーでしたが全米1位の大ヒットを記録!
誰しも耳にしたことがあるはずです。
デビューアルバム「ヤング・ラスカルズ」こそカバー中心でしたが、67年サードアルバム「グルーヴィン」はオリジナルの名曲揃い。 名盤としての誉れ高くその地位を不動の物にした、と言えます。
私世代では、彼らをリスペクトする山下達郎氏が表題曲をカバーしていることでも耳馴染みがありましたね!
メンバーはオルガン、ボーカルのフェリックス・キャヴァリエ、リード・ボーカルのエディ・ブリガッティ、ドラムのディノ・ダネリ、とここまで3人がイタリア系アメリカ人。
そしてフランス系カナダ人のギター、ジーン・コーニッシュという4人。
ベースシストがいない、という点でドアーズと同じ構成ですが、ドアーズのキーボード、レイ・マンザレクが左手でローズ・ピアノ・ベースを演奏していたのに対し、フェリックスは両手プラス、ハモンドの足ペダルでベースラインを奏でているのが特徴と言えます。
さて、動画は名前を当初の「ラスカルズ」名義に戻してからの68年のNo1ヒット曲、「自由への賛歌」をチョイスいたしました!
キング牧師やケネディーの暗殺に触発されたといわれるこのナンバー、疾走感の溢れる力強い1曲になっております。
特筆すべきはやはりこの4人の素晴らしい演奏力でしょうか。
TVスタジオでのライブながら、この頃主流の(?)当て振りではなく(爆)、しっかりと演奏されています。
フェリックスの素晴らしいボーカルペダルとは思えないベースランニング
エディのコーラス。ダイナミックなジーンのギター。
そして私が一番感じるのはディノの抜群なドラミングです。
このビートを聞いて体が動かなかったらウソでしょう(笑)。
他の動画を見ても、本当に演奏のうまさとパフォーマンスが光るバンドだと言えます。
この動画には登場しませんが、リード・ボーカルのエディが両手にタンバリンを持って華麗に叩く姿などは、最高。
思わず「よっ!社長!」と言いたくなるのは宴会芸を連想してしまう私だけでしょうか(爆)?
若き日のハンサムなフェリックスも捨てがたかったなぁ…。
まあ、その辺はまたの機会という事に。
この時期の髭面を見ておわかりの通り(?)、時代の流れからか、ラスカルズはそのソウルフルな持ち味にサイケ、ソフト・ロック、ブラス・ロックなどの要素を取り入れ始めます。
勢力的にアルバムを出す一方で、70年にエディが脱退、さらに71年にジーンが脱退し、その後メンバーを加えるも72年のアルバム「ジ・アイランド・オブ・リアル」をもって解散となりました。
その後フェリックスはソロとして活動、リンゴのオールスターズにも参加してましたね。
ドラムのディノはスプリングスティーン・バンドのギタリスト、スティーブ・ヴァン・ザンドのソロバンドで名前を見たことがあります。
その縁からか97年にラスカルズがロック殿堂入りした時のプレゼンターをヴァン・ザンドが務めたらしいです。
またその時にオリジナルメンバーでの演奏があったようですが、現在パーマネントな再結成話は聞こえてこないようです。 そこもまた清いですな(爆)。
それでは68年、強力な演奏をどーぞ!



 「People Got To Be Free 」(1968)





↓動画曲の収録はありませんが、やはりここはこの名盤をチョイスしておきます。一家に一枚。

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2010年2月14日 (日)

Strapps

いやー、ついにこの日がやってまいりましたぁ! ストラップスのご紹介であります。
現在のストラップスの評価と言えば、知る人ぞ知る70年代後半のB級ハードロックバンドといった感じでしょうか。
しかしながら、デビューアルバムでの彼らはちょっと違っていたのであります。
ストラップスのデビューは76年。中心人物のギター&ボーカルのロス・タッグはオーストラリア出身。
渡英後のメンバー募集広告を見て参加した、というドラマーのミック・アンダーウッドは、シャドウズ、クオーターマス、そしてディープ・パープル加入前のロジャー・グローバー、イアン・ギランが参加していたことで有名なエピソード・シックスにいた人。
この強力なメンバーにベースのジョー・リード、キーボードのノエル・スコットが参加して発表されたデビューアルバムはカリスマ・カメラマン、「ミック・ロック」によって撮影された特徴的なジャケットに包まれ、「貴婦人たちの午后」という邦題でありました。
ロジャー・グローバーもプロデュースで参加したこのアルバム、これが実はまったくハードロックではなく、実際はニューウェイブというか、グラムロックといいますか、そんな感じのテイストだったのであります。
歌詞にいたっては性倒錯やSMなどを連想させる強烈なもので、本国イギリスでは良い評価を得られなかったのであります。
しかしここ日本ではそのルックスやイメージから(歌詞があまり分からないから、といった話も…)好意的に受け入れられたのです。
この辺はクイーンやチープトリックといったバンドにいち早く目をつけていた日本ならでは、といった感じですね。
続く77年のセカンドアルバム「シークレット・ダメージ」は一変してハード・ロックにシフトしたアルバムになり、特に日本では「ポスト・ディープパープル」といった取り上げられ方をされていたように思います。
まあ、よーく考えるとまったく違っていたわけですが(爆)、私が初めて聞いたのもこのレコードでありました。
ジャケットやロゴマークもカッコよくて(私には結構大事(笑))、曲もハード&ドラマチックでいいアルバムでありました。
ただエッジの効いたどこか硬質な感じのギターやちょっと異質な雰囲気というのは、恐らくファーストアルバムからの名残だったのだと後で気が付きましたが。
その後音楽性を広げて発表された78年の3枚目のアルバム「愛のプリズナー」、キーボードが脱退して変わりにもう1人のギタリスト、レイ・マクリナーが参加しての79年「炎の衝撃」と順調にアルバムを発表するも、日本以外ではまったく話題にならず…。
折りしも世間はパンク全盛の時代…。
ドラマーのミックが旧知の仲であるイアン・ギランのバンド「ギラン」に参加したのをきっかけにバンドは消滅、となりました。
私自身もこのストラップス、早くからこの「伝ロク」で取り上げたいと思っていたのですが、なにぶん公にはこんなマイナーな存在(笑)なものですから、CD化も04年にUKでデビュー盤のみ、というお寒い状況
動画なんか夢のまた夢、とあきらめていたのであります。
ところが!08年に彼らのレインボー・シアターでのライブ盤が血迷ったように(爆)リリースされたのであります。
そしてついに!動画が出てまいりましたよ!お父っつぁん(笑)。
曲は名盤、「シークレット・ダメージ」の2曲め、「恋の痛み」であります!
どーですか!動くロス・タッグですよ!おっかさん(笑)。
感無量ですなぁ。
リリースされたライブ盤と同じ素材と思われる、77年6月11日のレインボーでのライブ。
ミックの重いビートといい、ロスのボーカルといい、非常にクオリティーの高い演奏と言えます。
ギターソロの途中でグイらツマミを回して音色が変わるのはご愛嬌でありますが(爆)、やはりこの時期が彼らのピーク、と言って良いでしょう!
ロス・タッグは今や故郷でミュージック・スクールの先生をやっているとか…。
時代ですな。
それでは貴重な映像をどーぞ!




「The Pain of Love 」(1977)


↓現在CD化はデビュー盤とライブのみ…。動画曲が収められたお勧めアルバム「シークレット・ダメージ」も含め、ぜひ再発していただきたいものです。


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2010年1月 5日 (火)

The Move

60年代後半のイギリスに、キラ星のごとく存在した伝説のバンド達…。今回は「ザ・ムーヴ」のご紹介です!
ご存知、ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)の前身となったバンドなわけですが、サイケデリック・ムーブメントの全盛の中、68年にデビュー。
5年間の活動のうち、全英チャートに7曲のトップ10ヒット送り込むなど、当時のシーンを語る上で欠かすことの出来ないバンドであります!
中心人物は「奇才」ロイ・ウッド
なにが凄いって、実にポップセンスあふれる楽曲のコンポーズをはじめ、楽器はギターからオーボエやサックス等の管楽器、チェロまでこなす多芸ぶり。
そしてそのひと癖もふた癖もあるアレンジの才能。
ゆえに送り出された1stアルバムは実にポップでキャッチー、ロックンロールからドゥワップまで多様な音楽性をビート感の溢れるギター・ポップにまとめ、様々な楽器でサイケデリック風に味付けした、とでも言ったら良いのでしょうか?正に名盤でした。
また忘れてならないのがそのコーラスワークの素晴らしさ、そしてライブでも実証されていますが、ボーカルのカール・ウェインをはじめとする一本筋の通ったロックなパフォーマンス
しかしヒットバンドの宿命か過酷なツアーの後にギターのトレヴァー・バートン、ベースのエース・ケフォードが脱退。
発表されたセカンド・アルバム「シャザム」は正味6曲ながらもハード・ロック寄りのアプローチも見せるなど、パワー・ポップ好きには見逃せないアルバムでありました。
ですがこの時点でボーカルのカールも脱退してしまい、グループに大きな変化が訪れます。
70年に、同じくイギリスで「アイドル・レース」というバンドで活動していたこれまた天才、ジェフ・リンがさらなる成功を求めて(?)加入。
デビュー曲がムーヴの「ザ・レモン・ツリー」のカバーであり、ヒット曲「ファイアー・ブリゲイド 」のレコーディングにも部屋を貸した(?)という話もあるぐらい、かねてからの友人だったジェフの加入により、バンドの音楽性は飛躍的に進化。サードアルバム「ルッキング・アウト」を発表。
さらにベースのリック・プライスが外れ、ロイ・ウッド、ジェフ・リン、ベヴ・ベヴァン3人となったバンドは72年にアルバム「メッセージ・フロム・ザ・カントリー」を発表。
ロイ・ウッドの風貌が毛だらけの仙人、魔法使い化するに伴い(笑)、このままELOになって行く、というわけです。
私的な思い入れですが、このアルバムに収められた「ドゥ・ヤ」という曲(名曲!)を私の個人的フェイバリットアーティストであるトッド・ラングレンが自身のバンドの75年のライブ・アルバム「アナザー・ライブ」でカバーしていて、さすが、目の付け所が違う!と唸ったのを覚えております。
ロイ・ウッド、ジェフ・リン、トッドと奇才天才同士、類は友を呼ぶのだなぁと思ったりして(笑)。
さて動画でありますが、かくも初期と後期では様相の違う「ザ・ムーヴ」でありますので、迷いました…(笑)。
後期のロイがサックス吹いてたり、ベース弾いてたり、はたまたジェフ・リンがギターだったりピアノだったりという数々の動画もご紹介したいのですが、まあ後のELOと被る部分もありますので、ここは私個人の好みでビート・ロック感溢れる初期の映像で行きましょう!
曲は「アイ・キャン・ヒア・ザ・グラス・グロウ 」で行って見ましょう!(当時邦題は「緑の草原」となっていたと記憶しております)
お馴染みドイツのTVプログラム、「ビートビートビート」67年出演時の映像です。
フェンダー・エレクトリックXIIを抱えたロイ・ウッドがほとんど写りませんが(爆)、この躍動感溢れる感じは、さすが「ザ・フー」をも彷彿させる、と言われたのもわかります。
デビュー直後のみずみずしいライブをどーぞ!




「I Can Hear the Grass Grow」(1967)




↓ファーストアルバムのデラックス・エディションが出てます!これは聴くべし!



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2009年10月 4日 (日)

doors,The (Revised Edition)

加筆訂正再登場(爆)!
ドアーズのボーカル、ジム・モリソンといえば、まさに伝説の男、と言って良いでしょう。
私がドアーズ&ジム・モリソンを始めて認識したのも、「ジム・モリソン詩集」という本だったように記憶しております。
人気ロックバンドのボーカリストにして詩人、攻撃的なパフォーマンスとセクシーなステージング。ドラッグ、アルコール、そして謎の死。
正に60年代のロックカルチャーを象徴するカリスマであったと言えましょう。
特に初期の強力なパフォーマンスはぜひとも動画で目に焼き付けておくべきです!
カリフォルニアのライブハウス、「ウイスキー・ア・ゴー・ゴー」でプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドのお眼鏡にかなったバンドは67年、アルバム「ザ・ドアーズ」でデビュー
同年、「ハートに火をつけて」が全米No.1 を獲得し、トップ・バンドへの道を歩み続けます。2枚目のアルバム、「まぼろしの世界」も名盤との呼声が高いですね。その後はあまり大きくなってしまったイメージのせいもあってか、若干そのキラメキを失った感じがありましたね…。
ブルース色を強めた71年のアルバム、「LAウーマン」収録後にボーカルのジム・モリソンがパリで死去。
その後残ったメンバーで2枚のアルバムを発表するも、さすがにバンドの中心人物を失った痛手は大きく73年に解散、となります。
バンドの形態としては、ベースレス、という非常に珍しいスタイルですが、レイ・マンザレクが紡ぎ出す左手のベースキーボードは独特なグルーブを生んでおりました。
独特のスケールで黙々とギターソロを弾くロビー・クルーガーも特徴的といえましょう。
さてその後のバンドですが、78年に生前のジムの詩の朗読にバンドの演奏を乗せたアルバム「アメリカン・プレイヤー」を発表したり、最近もカルトのイアン・アシュベリーをボーカルに加えたり、元ポリスのスチュワート・コープランドをドラマーに加えたりとして活動。
そう、それからビッグ・ネーム・バンドにありがちなバンド名の使用をめぐる訴訟
バンドは「21世紀のドアーズ The Doors 21st Century」と名乗ったりしてましたが、思わず「クリムゾンかいっ!」と突っ込みが入りそうですね…(爆)。
余談ですが、実は私、ブレイクする前から、メグ・ライアンのファンでありまして(笑)…、まあ、なぜそんな事を言うかと言いますと、91年にオリバー・ストーン監督によってドアーズが映画化された時にメグがモリソンの恋人パメラ役で出演していたんですね。
で、これは運命だ、と(なんの?)。速攻でレーザー・ディスクをゲットしましたから。
ただ映画の評判はあまり良くなかったようですね。モリソン役のバル・キルマー、そっくりだったんだけどねぇ。
さて、動画ですが、数々の名曲の中から私がチョイスしたのはシングル第二弾にしてNo.1ヒットとなった、「ハートに火をつけて」であります。
はじめてこの曲に出会った時、なんてカッコイイタイトルなんだ!と思ってました(笑)。
とっかかりとしては非常にキャッチーで、聞きやすかったってこともあったのかも。
実は私がこの記事を書いた時に当初公開させていただいておりました「エド・サリバン・ショー」に完全にガードがかかってしまいました…(爆)。今回やむなく加筆再アップという事で、改めまして68年、ヨーロッパ・ツアーの映像をお届けいたします!
ちょっと長いですが、完全に「イッちゃってる」(笑)ジム、各メンバーのソロも圧巻
会場のただならぬ雰囲気も当時の様子をよく伝えてくれてますね!
ともあれ、エド・サリヴァンも激昂した(笑)、伝説の名曲をお楽しみ下さい!

筆者注)
(この記事は07年5月17日の記事に加筆修正を加えたものです。)



「light my fire」(1967)


 

↓さらなる名曲「ジ・エンド」も収録!

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2009年9月 9日 (水)

Manfred Mann

上から読んでも「マンフレッドマン」。下から読んでも「マンフレッドマン」。
あ、「ンマドッレフンマ」になるか(爆)。
60年代、イギリスのビートロック、モッド・シーンを語る上でも重要なバンド、「マンフレッド・マン」のご紹介!
キーボーディストのマンフレッド・マン(個人の芸名ね。)とドラマーのマイク・ハグが62年に結成したジャズ系のインストバンド、「マン・ハグ・ブルース・ブラザーズ」
ホーンセクションが抜け、ここにボーカル&ハープのポール・ジョーンズが加わってポップ・バンドと化したのが63年。その名も「マンフレッド・マン」(こっちはバンド名ね。)となったのであります。
TV番組、「レディー・ステディー・ゴー」のテーマソングとなって64年にヒットした「5-4-3-2-1」、まあ、オリジナルは彼らではなかったりするのですが、同年のNo1ヒット、「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」(エキサイターズ)や 「シャ・ラ・ラ」(シュレルズ)などなど、 一聴しただけで、「あっ、聞いた事ある!」となる名曲の数々
ポール・ジョーンズのR&Bやブルースに影響された歌唱を生かす一方で、アルバムナンバーではマンやマイク・ハグらがルーツとするクールなジャズ・テイストで攻める、など、その音楽性と演奏技術の高さは折り紙つき、と言えます。
さて動画ですが、ヒットナンバーも良いのですが、やはり多いのが当て振り…(爆)。せっかく演奏力の高いメンバーの集合体でもあるマンフレッド・マン、生演奏でチョイスしたい、ということで引っ張ってきたのがこちら、イギリスの雑誌「NME」(ニューミュージカルエクスプレス)が主催した、「ニューミュージカルエクスプレス・ポール・ウイナーズ・コンサート」
実は当「伝ロク」では「アニマルズ」の映像もここから引っ張らせていただいたのですが、当時の映像としては本当に珍しい、ダイナミズムの溢れる演奏を見ることが出来ます。
64年のサードシングル、全英11位の「ハブル・バブル(トイル・アンド・トラブル) 」を含むライブ!
どーでしょう!この躍動感! 
ポール・ジョーンズの熱いパフォーマンス!マンのキーボードもブリブリ決まっとります!!
ビブラフォンやフルートなどマルチに楽器をこなすメンバーを擁し、ストーンズやフー、キンクスとほぼ同期、堂々たる実績の彼らですが、今ひとつ認知されないのが残念ですね…。
その原因とも言えるのが、メンバーの出入りの多さと音楽性の変遷ではないでしょうか。
活動期間6年間でのメンバーが述べ11人(笑)。
その中には後にあの「クリーム」を結成するジャック・ブルースの名前もあります。
66年にボーカルがポール・ジョーンズからマイク・ダボこの2人の顔がそっくりなことが話題になったりしましたね)にスイッチしてからは、よりポップになった反面、本来のジャズ志向が頭をもたげたか、マンとハグ(こう書くとなんか可笑しい…)を中心に別バンドを結成。
結局これが「マンフレッド・マン・チャプター・スリー」というジャズロックバンドになり、さらには70年代、プログレ、アートロックとも言うべき「マンフレッド・マンズ・アース・バンド」として変幻をとげていくのであります(現存。)。
ここまで来るとまったく別のバンドなのですが、さらにややこしいのが、91年に当人のマンフレッド・マンを除いて結成された「ザ・マンフレッズ」というバンド(こちらも現存。)。
こっちは60年代の音楽性とヒット・ナンバーを中心とする再結成バンドで、例のそっくりな2人のボーカリスト、ポール・ジョーンズとマイク・ダボが参加、さらに当時ドラムのマイク・ハグはキーボード担当、というのですから、実にわかりずらい(笑)。
過去の栄光か、革新か。深いですね(爆)。
それでは出だしがちょっと長いですが(爆)、当時の様子のよく分かる映像、お楽しみ下さい!




「Sticks And Stones ~ Hubble Bubble 」(1964)


↓廃盤なのですがっ!もし手にはいるなら!!こちらがおすすめ。98年にデジタル・リマスターで発掘リリースされたこのライブ。演奏力が高い彼らならではの高品位なライブ。動画曲はありませんが、貴重なジャック・ブルース時代のライブも聞ける!!


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2009年8月23日 (日)

Silverhead

Q : シルバーヘッドのマイケル・デ・パレスは侯爵だって本当ですか?
A : お答えします。本当です。(爆)

侯爵なのが音楽性に影響があるとは思えませんが(笑)、当時のグラムロックのボーカルのプロフィールとしてはなかなかにセンセーショナルだったと言えます。
72年にアルバム「恐るべきシルバーヘッド」でデビューのイギリスのバンド、「シルバーヘッド」
70年代初頭のブームに乗っかってグラムロックのカテゴリーに分類される事が多かったようですね。確かにブギー基調の曲調やブラスセクション、ボーカルのデ・パレスを初めとしたメンバーの艶やかなファッションセンスなどは明らかに「ぽい」 感じと言えます。
デビュー時演奏テクニックこそ今ひとつとの評価があるものの、スローもこなす楽曲センスやストレートなハード・ロックンロール。デ・パレスのR&Bテイスト溢れる抜群な歌唱は、ディープバープルのパープル・レコードからリリースされるだけのことがあったと言えますね!
73年のセカンドアルバム「凶暴の美学」発表時にはギタリストが ロビー・ブラントに交代。なかなかのスライドソロとともにクオリティーも上がり、ハードロックアルバムの名盤としても十分評価出来るものでした。
イギリスではナザレスのサポートとして、またアメリカ、日本とツアーに出るも、74年、ニューアルバム「ブルティフル」製作中の7月に空中分解となってしまうのであります。
グラムロックの衰退とともに、本国イギリスでも正当な評価を得ることのなかったシルバーヘッドですが、さすがは日本(笑)。ビジュアルで注目を集めたバンドの人気は根強く、2枚のライブアルバムがリリースされております。
さてそんな彼らですから動画の発見は難しいと思われたのですが、出てまいりました!!
「当て振り」ですが、ご勘弁!
当時の動くデ・パレスが見れるだけでも良し、でお願いいたします(笑)!
曲は73年のシングル曲、「ローリング・ウイズ・マイ・ベイビー」です。
いやー、雰囲気あると思いませんか?特にデ・パレスの「ぱっつんぱっつん」(笑)なシャツ姿、私は後世のデヴィッド・リー・ロスを連想してしまうのですが…いかがでしょう。
トレードマークの星マーク付きのシルク・ハットも効果的に登場してますね!
まあこのシルクハットがグラムロックの象徴、みたいな所もあるんですが。
さてその後ですが、マイケル・デ・パレスは77年に元イエスのキーボードだったトニー・ケイ、元ステッペン・ウルフのギタリストだったマイケル・モナークらと「ディテクティブ」を結成。
レッド・ツェッペリンのスワン・レコードからジミー・ペイジのプロデュースの元、アルバムを発表しますが、結果2枚で解散。
さらに元セックス・ピストルズのスティーブ・ジョーンズとのバンド結成もありましたが、しばらく音沙汰が無いと思っていたら、85年のライブ・エイドにあの「パワー・ステーション」にロバート・パーマーに代わってボーカルとして登場
私は当時結構「ハマリ」と思ったのですが、長続きせず。
またこの人、俳優として映画に出たりもしてました。
近年の姿も見ましたが、いい感じに歳とってましたね。短い白髪ながら、相変わらず妖艶な感じで12人編成のバンドを従えてソウルナンバーを熱唱しておりました。
そう、蛇足ながら、デ・パレスは「伝説のグルービー」ことパメラ嬢とかなり長く結婚していたのですよ。選ばれし男(爆)!
さてさてそれでは伝説の映像、お楽しみ下さい!!




「Rolling With My Baby」(1974)



↓ジャケットとしては「恐るべきシルバーヘッド」が有名ですが、ここはより完成度の上がったセカンドでいって見ましょう!

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